機関誌第8号「AMFNEWS」 -003/007page

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海の生活誌(第2回)

大漁旗

 Traditional Flag oflarge haul“TAIRYO−BATA” by Takashi Makabe

浪江町講戸港の出初め式
▲浪江町講戸港の出初め式
The New Year's port ceremonyat Ukedo harbor in Namie town

大漁旗の見本帳
▲大漁旗の見本帳
Catalogue of “TAIRYO−BATA”

万祝
▲万祝
Maiwai-A special kimono celebrating large haul

 「漁師にとって、大漁旗は縁起物。だから、お盆や彼岸、仏滅の日には、旗を配達をしないんです。」

 これは、先日、大漁旗他各種の染物を40年以上作り続けている堀越善治氏に話を伺った時の二言です。善治氏は昭和13年、いわき市小名浜生まれ。高校を卒業した後、昭和30年代前半から代々続いている家業を継ぎました。

 当時、小名浜には4つの造船所があり、多くの木造船が造られ、そのたびに「台おろし」と呼ばれる進水式が行われました。その際、完成を祝い多くの大漁旗を飾りました。この旗は、船主に対して、その兄弟、親戚、取引先(無線機商、網工、造船所他)等が贈るもので、1回につき、少なくても10枚以上の旗を飾りました。それ故、善治氏の染物屋にも大漁旗の注文がたくさん入り、北は相馬市から南は日立市、そして、新潟方面へも旗を納めたそうです。

 大漁旗の注文を受けるのは、ほとんど、大安などの縁起の良い日。製作は「下絵描き」から始まります。下絵は、全体の バランスを考えながら、直接布に描きます。そして、色が混じり合わないように、餅米とヌカを混ぜ合わせた糊を下絵に合わせて布に置く「糊おき」をした上で、「色さし」(染色)をします。色使いは、旗が目立つよう、隣り合う部分に反対色を使い、薄い色から徐々に染めていきます。そして、染め終わると、色落ちしないように「色止め」をし、水洗いをして糊を落とします。最後に布を縫いつけて、順調にいけば、10日前後で完成します。しかし、工程毎に乾かす作業が伴うので、雨が降ると作業が進まず、天候に左右される仕事でもあります。このように多くの工程と手間によって作られる大漁旗。模様には、七福神、かぶ、鯛、宝船、鶴亀、のし、日の出などが色鮮やかに描かれ、海の厳しさ、大漁の喜びを肌で感じてきた浜の職人であればこそ出せる力強さもそこには見られます。また、善治氏の父親の代には、漁師のハレ着である「万祝」(マイワイ)も作っており、漁師と染物屋とは密接な関係にあったと言えるでしょう。

 この大漁旗、いわき地方では主に「マネ」「マネバタ」とも呼ばれ、『分類漁村語彙』(柳田国男・倉田一郎共著、昭和13年刊)には次のように書かれてあります。「関東から東北の太平洋沿いに知られている語。常陸や相模などでは大漁の合図に船に掲げる旗。多くは赤色、陸前荒浜では白黒半々のもの、もとはマンジ笠を竿のさきにかけた。石城の浜でいうマネは、正月14日の夕、海岸にたてる小屋に帆柱をたて、その先にかかげる小旗のことをいう(石城郡誌)。安房の白浜あたりでは海女が水死すると、この赤いマネをあげて一日は少くも休む風があった。」

 この記録から考えると、大漁旗はもともと、大漁を知らせる情報手段から始まったと推測できます。そこに、魔よけ、大漁祈願、海上安全などの意味も加わり、現在では、数少ない新造船の進水式の時や、初出漁の時、カツオなどが大漁の時、正月、1年間の大漁を祈願する時等に船にかかげられ、漁師にとって大切な縁起物になったと言えるでしょう。

 「板子1枚、下は地獄」 と言われる程、厳しく危険の伴う漁師の仕事。故に、漁師達は大漁に対する願いや喜び、縁起への意識が強く、そこからこの大漁旗という日本独自の漁民文化が生まれたのでしょう。

 そんな大漁旗や万祝を集めた企画展「海の美の発見―ふくしまの浜のくらし―」が10月17日より開催されます。当館ならではの生物と標本資料を融合させた構成で、従来の博物館にはない展示をご覧いただけると思います。是非、お越しください。

(学習交流課 真壁敬司)


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