機関誌第9号「AMFNEWS」 -003/007page

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海の生活誌(第3回)

和船の歴史と船大工

 The history of Japanese ship and carpenter by Takashi Makabe

浪江町講戸港の出初め式
▲船絵馬(国見町深山神社所蔵)
Votivepicture of Japanese ship

小名浜港(大正初期)
▲打瀬網船の並ぶ小名浜港(大正初期)
Onahama port where small sailing trawl ships anchored in the beginning of Taisho Period

鰹船模型
▲鰹船模型
The model of bonito Ship

 福島市の北、国見町の深山神社に海や船を描いた一枚の絵馬が所蔵されています。町の指定文化財でもあるこの絵馬は文久年間(1861〜1863)、当地の名主が奉納したもので、宮城県荒浜の様子を描いていると言われています。海まで50キロ以上もある内陸地に、なぜ、そのような絵柄の絵馬が存在するのでしょうか。実は、江戸時代、近くを流れる阿武隈川をルートに、年責米をはじめとする様々な物資が河口の荒浜まで運ばれていたのです。故に、このような絵馬が内陸にも存在するのでしょう。当時、荒浜は石巻に次ぐ米の積出港で、阿武隈川経由で運ばれた信達地方(福島市周辺地域)の幕府領の米、仙台藩の米、山形方面の米もすべてここに集められました。それらは、30トン近くを積載できる約2〜300石の大型和船に積み替えられ、東廻り航路で江戸まで輸送されました。つまり、この絵馬は、川を下った年責米が海路、安全に江戸まで運ばれるよう祈願したものであり、それを示すように帆を張った大型和船も描かれています。

 たくさんの物資を遠くの目的地まで運んだ大型和船ですが、その歴史は、約5,000年前の縄文時代初期、1本の原木から作られた丸木舟にまでさかのぼります。そして、そこから、日本独自の和船の型式ができあがっていきました。その特徴としては、西洋型の船にある竜骨(人間の肋骨のような骨組)がなく、船底が平たく、船尾は角形であり、板を合わせて造った板船であると言うことができます。また、船体の内部に荷物が入れられるよう、甲板の何割かが揚げ板であることから水密性が低く、悪天時には海難に遭いやすいという不利な面も持ちあわせていました。そんな和船も16・7世紀には、朱印船において、東南アジアとの貿易を行うまでになり、鎖国となった江戸時代においても、北前船(日本海航路の商船)、菱垣廻船(大阪〜江戸の往復)のような大型船が作られました。陸路を行く馬なら1頭で米を2俵(1俵=約60kg)しか運べないことから考えると、江戸時代の商品経済の発達に果たした海運の役割は非常に大きかったと言えるでしょう。近代に入ると、西洋の造船技術が導入され、和洋折衷型、西洋型へと変化していきます。しかし、小型漁船においては、その型式が昭和まで生き続け、当館近くの小名浜港でも、昭和20年代中頃まで作られていたと聞きます。先日、その当時の造船について、いわき市小名浜古湊在住の船大工、馬上高氏に話を伺いました。

 馬上高氏は昭和5年生まれの71才。15才から、親方であり義父でもある馬上久氏の下で、船大工の仕事を始めました。12〜3人の弟子と共に衣食住すべ てを親方の世話になり、20才まで年季奉公をしました。その年季中、主に伝馬船(磯船)、5〜6人乗りの打瀬網用の船などの近海の漁に使う木造和船や揚繰網用の西洋型の木造船の製作したそうです。

馬上高氏は昭和26年、先端技術を身につけようと横須賀に出て、鉄鋼船の造船技術を覚え、昭和38年に小名浜に戻ってきました。馬上高氏が戻ってきた当時、小名浜の各造船所では、西洋型ではあるものの、まだ木造船を造っていました。親方の馬上久氏も木造にこだわり、昭和60年に亡くなるまで、200隻以上もの木造船を手がけました。しかし、昭和40年代初めには小名浜でも鉄鋼船・強化プラスティック船が造られるようになり、現在に至っています。馬上高氏は退職した現在でも、元の職場から船の製図を頼まれることがあるそうです。和船や西洋型の木造船、鉄鋼船など様々な船を手がけてきた馬上高氏だからこそ、その造船技術を現在でも活用することができるのでしょう。また、馬上家には、今年、いわき市の指定文化財になった鰹船模型が保管されています。明治43年、馬上高氏の祖父に当たる馬上久七氏が、実際、船本体に使用した材料を使い、8 丁櫓や帆、釣竿まで非常に細密に製作したものであり、当時の無動力の和船の姿を知りうる貴重な資料でもあります。馬上久七氏の鰹船模型、馬上久氏の木造船へのこだわり、そして、馬上高氏の細かい船の図面から、その時々で必要とされた優れた造船技術を垣間見ることができます。

 海に囲まれている日本にとって船は重要な役割を持っています。アクアマリンふくしま近くの小名浜港にも、毎日のように多くの船が出入りし、私達の生活に関わる様々な物資が行き交っています。造船に携わった職人の話から、市井の人達の努力の積み重ねを抜きにして、現在の繁栄は語れないということを思い知らされました。

(学習交流課 真壁敬司)


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