福島県植物誌 -004/483page
物分類学で有名なAdolph Englerなどの学者の通訳をし,日本各地を案内した。また岩崎灌園の 『本草図譜』の大正校正版の出版に際して,白井光太郎に協力し,学名の考定を行った。
Urbain Faurie(1847−1915)はフランスの神父で1873年日本に来て,キリスト教宣教のかたわ ら植物採集をした。採品はフランスやドイツの学者に送った。高等植物の多くはフランス国自然 史博物館のFranchetが調べ,コケ植物については,苔類は主としてドイツのStephaniが,蘚類 はフィンランドのBrotherusがそれぞれ研究している。飯豊山では矢田部・松村一行が見のがし たミヤマウスユキソウを採集している。これはFaurieが1888年に鳥海山で採集したものが基準 標本として記載されている。また飯豊山採品からAcolea fauriana Steph.,磐梯山採品から Thuidium bandaiense Broth. et Par.,岳の採品からナガスジゴケSchwetschken longinervis Card.と ヒラヒツジゴケBrachythecium rhynchostegielloides Card.が記載された。
フランス国立自然史博物館のFranchetは1874年に 会津の名を付したAcer tataricum Linn. var. aidzuense Franchet( カラコギカエデ)を発表した。これは後に中井猛之進(1926年)によっ て独立種,Acer aidzuense(Franch.)Nakaiとされた。
本県において初期に植物学を教授した人として根木莞爾(1860−1936)がいる。根本は1883年 に東京師範学校を卒業し,中学校教員の資格を得て,長野県師範学校に奉職,1887年福島中学校 教諭兼福島師範学校教諭となり,翌年福島師範学校専任となって博物学を教授した。特に植物に 関心をもち,牧野富太郎に同定を乞うた。 ネモトシャクナゲRhododendron brachycarpum D. Don var. nemotoanum Makino(後にforma nemotoanum Makinoとなる),オオバウメモド キIlex nemotoi Makino(ミヤマウメモドキに統合された。)に献名された。根本に教えを受けた 者のなかには植物に興味を覚えた者が多数いる。中でも服部保義(福島師範明治24年卒),田代 善太郎(明治25年卒),星大吉(明治27年卒),小檜山(旧姓勝田)農夫雄(明治29年卒),古 川万次郎(明治29年卒),中原(旧姓佐藤)源治(明治34年簡易科卒),斎藤(旧姓 星)知覧 (明治41年卒)が植物採集家として名をあらわしている。1905年福島師範学校を辞して東京に移 住し,東京高等師範学校副手となり,ついで東京帝室博物館嘱託となった。多年集めた標本は博 物館に寄付した。これは現在の国立科学博物館に引継がれている。1925年には『日本植物総覧』を 牧野富太郎と共著で出版し,1936年には『訂正増補日本植物総覧』を,さらに1936年にその補遺 を著して,それまでの学者の研究発表を総括し,研究者の便に供した功績は大きい。
根本莞爾から教えを受けた田代善太郎(1872−1947)は東京高等師範学校に進み,牧野富太郎の 教えを受け,ますます植物に興味を覚えた。卒業後,母校福島師範学校教諭兼訓導となったが,翌