福島県植物誌 -005/483page

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年病気で休職した。病気回復後,熊本県や長崎県の学校に勤務した。採集した標本25,000点は京 都大学に納めた。そして京都大学嘱託となり,標本採集・整理にあたり,また植物分布の研究を した。タシロラン,タシロノガリヤス,Osmanthus zentaroanus Makino,Cirsium tashiroi Kitamura, Dryopteris tasiroi Tagawaなど 10種にあまる植物にその名を残している。ソウマシ オジは田代が日本で初めて採集した植物であるが,現在は採集地のいわき市赤井岳に見出されな い。

 星大吉は南会津郡檜枝岐村の出身であって,尾瀬の植物を採集し,板木莞爾に提供した。1899年8月6日 尾瀬ヶ原で採集したモウセンゴケの一種は,牧野富太郎によってナガバノモウセンゴ ケと同定された。これは,その前年に川上滝弥がエトロフ島アトイヤ山で採集し,ナガバノモウ センゴケと命名したものであって,本州では初めての発表となった。星は1934年檜枝岐において, アンドンマユミを発見した。

 中原源治は,福島師範学校の根本莞爾の助手となり,県内外の植物を採集し,根本の研究を助 けた。1903年吾妻山大根森で発見したハクサンシャクナゲの重弁種は,根本によって牧野富太郎 に送られ,1909年ネモトシャクナゲと命名発表された。中原は天然記念物調査のため来られた三 好学を現地に案内した。1923年この地をヤエハクサンシャクナゲ自生地として天然記念物に指定 された。中原が飯豊山で採集したEpilobium nakaharanum Nakaiアシボソアカバナ(1911)や 福島市信夫山で採集したLathraea nakaharai Makinoゲンジウツボ(1914)(ヤマウツボに統合 された)また台湾で採集したPeperomia nakaharai Hayata(1911)に中原の名がつけられてい る。中原の採品が基準標本となっているものは,以上のほかチョウカイアザミやミヤママツムシ ソウなどがある。

 服部保義が耶麻郡大寺で採集したカヤツリグサ科植物は,牧野富太郎がScirpus hattorianus Makinoイワキ アブラガヤと命名した(1933年)。そのころ鈴木貞次郎および星大吉は,これを戸 ノ口原で採集しているが,その後は誰も採集していない。これは北米に自生している植物である。 また服部は三春町でアラゲネザサ(ホソバアズマネザサ)Pleioblastus hattorianus Koidzumi(1935) を発見した。

 草野俊助(1879一1962)は,相馬市出身で,東京大学理学部植物学科を卒業し,東京大学教授と なった。植物病理学を専門とし,多くの業績をあげている。また通俗的な植物学知識の普及につ とめた。

 早田文蔵は第一高等学校の学生時代,1898年の夏に,尾瀬平,会津駒ヶ岳,浅草岳,飯豊山,磐


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