福島県植物誌 -009/483page
堀川芳雄は1926年に尾瀬燧ヶ岳産のPycnolejeunea subalpina Horikawaを発表した。
服部新佐は1941年尾瀬地域を採集し,1944年Calypogeia branditexta Steph.var.anisophylla Hattoriを記載した。
小林勝(1896−1981)は福島師範学校卒業後,文部省中等教員検定試験博物科植物に合格し,白 河中学校教師となり,後に満州に渡り教職につき,満州の植物を採集し,北川政夫,牧野富太郎, 北村四郎,田川基二,大井次三郎の分類学者に標本を送った。第二次世界大戦後,日本に引揚げ, 福島師範学校に招かれ,学制改革によって師範学校は福島大学となり同大学学芸学部で植物分類 学,形態学を講じた。福島県植物誌の著作にかかり,1952年に福島大学学芸学部理科報告第1号 に,福島県植物誌1(羊歯植物門)を掲載し,1953年から1956年にわたり,鈴木貞次郎と共著で, 福島県植物誌其二〜其五(裸子植物と被子植物のうち双子葉植物)を著した。また福島大学理科 報告第3号(1954)に,吉岡邦二と共に「蓋沼の浮島」を同第4号(1955)に「ビャッコイの産地 について」を発表した。福島大学を中心にして動植物同好者を集め,福島生物同好会を組織した。
吉岡邦二(1910−1977)は,福島大学学芸学部生物学主任教授として1950年から10年間勤務し た。その間,東北地方森林の群落学的研究,蓋沼の浮島,福島県森林区の区分,尾瀬ヶ原湿原植 物群落の構造と発達,福島県植物のプロフィル,雄国沼湿原とその付近の植物相,尾瀬の価値と 自然保護など多くの研究論文を出した。また天然記念物の調査や尾瀬の自然保護に力をつくした。
文部省は,尾瀬の総合学術調査を1950年から1952年の3年間にわたって,それぞれ専門学者 によって行い,1954年「尾瀬ヶ原総合学術調査団報告」を出した。これによって尾瀬の植物相が 明らかになりその価値を高めた。
原寛は,シラカワタデを記載したほか,飯豊山産を基準標本として, ミヤママツムシソウScabiosa flscheri DC.var.longiseta Hara(1937), イイデリンドウGentiana nipponica Maxim.var.robusta Hara(1947)を記載し, 黒沢幸子と共にタキネツクバネウツギAbelia spathulata Sieb.et Zucc.var.colorata Hara et Kurosawa(1955) 大滝根山産を新変種とした。
大井次三郎は,アイヅスゲはそれまでCarex arnellii Christ.に当てられていたが,それは別種 であると考え,新たにCarex hondoensis Ohwi(1931)とし,また大石光男が伊達郡保原町雨乞 山で発見したものに,オオチチッパベンケイSedum oishii Ohwi(1971)とそれぞれ命名した。
今野礼三が,福島市茂庭で発見したサクラに, モニワザクラPrunus × moniwana T.Kawasaki(1963),福島市飯坂町滝野で発見したサクラに, タキノザクラPrunus × takinoensis T.Kawasaki(1970)と川崎哲也が命名した。