福島県植物誌 -078/483page
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河へ一家転居するまでそこに住んだ(金山村、古関村ほか1村が合併されて表郷村となった)。 私は子供の頃から瀬戸原の別荘へはたびたび行き、ビャッコイのことは父から聞いていて、 私ばかりでなく、家族中でそれをよく知っていた。池3つのうち、一番 小さい池(約60m2)の全面にビャッコイが生い茂り、その」隅に清 水がわいて、木製四角形の掘井戸となっていた。水中の木のわくに淡水紅藻のカワモズク がよく生長し、冬は赤く、夏は緑に変わり、摘みとっては酢じょうゆで生で食べたもの である。秋は紅葉が美しく、邸内を歩くと、キシメジやコムラサキが小ざるにいっぱ いとれて、よいおかずになったりした。別荘のまわりはクロウメモドキが植えられていて、 その果実はわが家の家傳薬「玉錠」という蘭方薬の原料で、秋は家族中で実をもぎによ く出かけた。たん、しゃく、りゅういん下しと銘打ち、きわめて有効、かつ安全な 下剤であった。東北・関東一円に取次ぎ所を持ち、冬の農閑期には家族中で つくった、文字通りの手づくり品であった。1年間に消費する原料は別荘のまわりの クロウメモドキでまかなえるほど大量にとれた。終戦直後、新薬事 法によって家傳薬が禁止されるまで続いた。瀬戸原の別荘のビャッコイとクロウメモドキ、 それにカワモズクは幼年時代から私の印象にきわめて深いものであった。
昭和31年7月に、白河市および西白河郡の小・中・高校の先生方の植物研修会が甲子山で 行なわれることになり、本田正次博士、それに地元出身者として広島大学の鈴木兵二博土と 私が講師に依頼され、甲子温泉に2泊した。そのとき本田博士が私 に「あなたは福島県出身のようですが、ビャッコイは何とも不思議な植物ですね」 と話された。私は何
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図38 金山瀬戸原、油屋の別荘跡の大きさ2番目の 池(中の池)。昭和30年(1955)12月に県の 天然記念物に指定された頃、さくが施されて 保護された。そこはヤマモミジの木陰ができ て中の池ではもっともよく生育していた。し かし数年後にはヨシなど、ほかの草に圧倒さ れて衰徴が目立つようになった。 (1963.8.31)
図39左,さく外の清水がごくゆるやかに流れている場所。ビャッコイがあちこちに生えている(矢印)。
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右ビャッコイ(1963.8.31)
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