福島県植物誌 -079/483page
図40 写真38の保護さくのところ。木陰が強く なり、また水がよどみ、どろ沼化して ビャッコイは全減し、ヌマゼリやクサヨシ がまばらに生え、さくは朽ち木と化した。 (1985.10.28)
図41 金山、不動清水から100mほど下の流れに生 えているビャッコイ。(1963.8.31)のことかさっぱりわからず、なぜ不思議な植物なのかそのわけをたずねた。 それに対して本田博士は、ビャッコイは牧野博士の発表以来、誰もそれを 見た者がなく、どこに生えているのかもわからず、全く幻の植物であると 思われていた。ところが昨年清水傳吉氏からの手紙にビャッコイの産地が福 島県の金山であることが書いてあり、だいぶ前に同氏がそこで採集したという 標本がビャッコイそのもののようで、清水氏の言うことが本当らしく、 それにしてもたいへん奇異なことであるという。 私はそれを聞いて驚いた。ビャッコイは私や弟達まで子供のときからそれをよく知っていた。 それが50年もの長い間、植物学界で幻の植物とされていたとは私も貞次郎も全く知らな かったことである。それで私はビャッコイについて詳しく話をしたら、ぜひその原産 地を見たいと言われ、後日貞次郎が金山の瀬戸原と不動清水に本田博士を案内した。
甲子温泉からの帰えりに、私は白河で貞次郎に逢い、本田博士とのビャッコイの話をした。 ところが3年前に東京の国立科学博物館で大井次三郎博土と貞次郎との間でも同じような 話がでたそうである。ビャッコイが金山にあるとのことで大井博士がたいへん驚き、 かつ喜び、さっそく昭和28年(1953)9月、貞次郎の案内で金山へ行かれた。そのとき 戸ノ□原へも行ってみたいとの申出があったそうだが、貞次郎はそこは自分も何 回かさがしたが見つからず、行っても無駄であることを申し上げたら、 戸ノロ原にビャッコイがないことは多くの人が認めている。しかし自分の眼で それを確めたいとのことだったので、御案内したということであった。
ビャッコイが長い間の幻の植物から現実のものとなったのは、以下のような私達父子と 大井、本田両博士との出合いがきっかけである。ちょうどその頃、貞次郎は小林勝先生と 福島県植物誌の出版に取り組んでいたの