ふくしま文学のふる里100選-003/30page

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ふくしまゆかりの文学者たち

高山樗牛 高山樗牛(たかやま・ちょぎゅう)
明治四・一・一〇〜明治三五・一二・二四、本名林次郎、山形荘内斎藤親信の二男。伯父高山久平の養子。久平は県令三島通庸に従って県庁勤務、福島西裏五丁目小倉長屋第六号に住む。福島中学校(現安積高校)在学中父の転任で上京。『美的生活を論ず』等の作品がある。

小林美代子(こばやし・みよこ)
大正六・三・一九〜昭和四八・八・一八、岩手県生。保原高等小学校を一年で中退。自己の精神病院での体験に基づく『髪の花』で群像新人文学賞を受賞。人間の心の弱さの中にある生の意味を描く作家として、期待されていた。

服部撫松(はっとり・ぶしょう) 
天保一二・二・一五〜明治四一・八・一五、二本松生。二本松藩の儒者で、戊辰の役後、東京に出て、戯作をはじめ多くの雑誌などを発刊した。

久米正雄(くめ・まさお) 
明治二四・一一・二三〜昭和二七・三・一、長野県生。父の自殺で母の実家郡山で育った。『三浦製糸場主』『牧場の兄弟』『破船』『父の死』や若松・猪苗代湖が舞台となった『受験生の手記』等がある。


3 滝口入道
高山樗牛
小説  明治二八年(一八九五)
滝口入道
 読売新聞の懸賞小説二等に入選。一等なく新聞に一八九四年(明27)四月から三三回掲載された。匿名発表で作者は帝大(現東大)学生某氏となっていたので話題となる。『平家物語』を材料として美文調の擬古典体の哀感的作品。主人公の斎藤滝口時頼と横笛の悲恋の物語。主人公時頼は「是の時二十三、性闊達にして身の丈六尺に近く、筋骨飽くまで逞しく(たくましく)、早く母に別れ、武骨一辺の父の膝下に養はれしかば、朝夕耳にせしものは名ある武士が先陣抜懸けの誉(ほまれ)ある功名談」の中で育った。この時頼が年令一六の「緑の黒髪後にゆりかけ」「閑雅に臈長け(しとやかにろうたけた)」た横笛に激しく恋心を持つが結ばれず仏門に入り滝口入道となる。横笛も尼となり病死する。

24 繭(まゆ)となった女
小林美代子
小説  昭和四七年(一九七二)
繭(まゆ)となった女
 孤独のうちに小林美代子はアパートの一室で、ひっそり自らの命を絶った。その前年に、今までの人生を回想しつつまとめたのがこの小説。小学生の克美(美代子がモデル)の家は岩手県釜石でお茶屋を経営していたが、ある事情で父母の故郷伊達郡保原町へ引っ越して来た。しかし、その日が一家の不幸と没落の始まりであった。「七夕の朝、明けぬうちに阿武隈川で髪を洗うと、乙女は美しくなると言われていた……水を手で幾度も掬って(すくって)は根元に掛ける。朝の冷気の中で水はしっとりと頭にまつわる」。悲惨な境遇の少女克美を、福島の清冽な自然はそっと優しくつつむ。

27 東京新繁昌記(はんじょうき)
服部撫松
戯作  明治七年(一八七四)
東京新繁昌記
 文明開化の波に洗われつつある明治初年の東京を「学校」「新聞社」「牛肉店」などの項目にわけて紹介したもの。内容は会話のなかで、ふざけ、おどけなどを縦横に駆使して物語風とし戯作の妙味を出す一方、痛烈な社会批判を試みた。当時の有名出版社・山城屋から出版、一万部以上の大ベストセラーとなった。

35 阿武隈心中
久米正雄
戯曲  大正五年(一九一六)
阿武隈心中
 三幕物戯曲。場所は「東北地方の或る農村」阿武隈川の瀬鳴りの聞こえる阿久津留蔵の家は、現郡山市阿久津。農村の「一里ほど離れた町の、紡績の汽笛が鳴る」と背景に描かれたのは、郡山の紡績工場や煙草専売所といった近代産業、若者は農業を嫌って都会に出て行く。作男(さくおとこ)の久作が「ほんとの百姓ってもんは、おら等が代でお終ひだんべ(おしまひだんべ)」と言う。留蔵の次男留二が「おれが立派な百姓になって見せる」と応えるが、久作は「時世には勝てねえ」と言う。長男の留吉が東京から帰って来て、家を抵当に株で失敗した穴うめをしようとする。ことわられ阿武隈川に投身自殺。恋人お豊もあとを追う。叔父猪八も酒に酔い川に落ち死ぬ。久作は「これも時世のせゐだんべ。此頃のやうに軋み(きしみ)合っては、生きてられねえ」と言った。近代化の中で没落する農村悲劇。

36 貧しき人々の群・禰宜様宮田(ねぎさま)
宮本百合子
小説  大正五年(一九一六)大正六年(一九一七)
貧しき人々の群・禰宜様宮田
 『貧しき人々の群』は安積開拓の中心地である開成山を舞台とした農村を描いた作品。作者の祖父中條政恒は安積開拓の指導者であり、今日の郡山の基礎を作った人物である。開成山もその座右の銘「開物成務」から。その祖父の事業を生み出した矛盾に気づき、貧しい者のない社会を希求する主人公の「どうぞ憎まないでおくれ。私はきっと今に何か捕へる。どんなに小さいものでもお互に喜ぶことの出来るものを見つける。どうぞそれまで待っておくれ」という叫びは、百合子文学の生涯を貫く思想となった。百合子一七歳の作『中央公論』発表。この作執筆の一九一六年、開成山に住む祖母と飯坂温泉に遊び、飯坂の風景を背景にして、郡山の没落農民の姿を禰宜様宮田と綽名される主人公を通して描き出した。『貧しき人々の群』の姉妹編とも言うべき作品で共に農民と農村の悲劇を主題にしている。

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