ふくしま文学のふる里100選-020/30page
浜通りを舞台とした文学
中村城大手門
吉野せいの住んだ開墾地
山本周五郎(やまもと・しゅうごろう)
明治三六・六・二二〜昭和四二・二・一四、山梨県生。大衆小説家。著作に『樅の木は残った』、『青べか物語』、『虚空遍歴』などがある。
富沢有為男(とみざわ・ういお)
明治三五・三・二九〜昭和四五・一・一五、大分県生。戦災で東京の住居を焼失、町医者で詩人、童謡「とんぼのめがね」等の作者額賀誠の縁で広野町に疎開し、生涯この地を愛して住みついた。
『地中海』で第四回芥川賞。『侠骨一代』『人喰鮫』『法廷』『愛の画廊』。県文学賞審査員もつとめた。
中里介山(なかざと・かいざん)
明治一八・四・四〜昭和一九・四・二八、東京生。『大菩薩峠』を書き継ぎ、大衆文学に新生面を開く。なお、福島県と介山と当作品との関連については『中里介山研究』2号掲載の高野孤鹿の一文が詳しい。
吉野せい(よしの・せい)
明治三二〜昭和五二、現在のいわき市生。夫三野混沌と開墾地に入った。いわき市では、吉野せい文学賞を設けている。
三野混沌(みの・こんとん)
明治二七〜昭和四五、現在のいわき市生。早稲田大学中退後、開拓生活に入る。山村暮鳥を知り、指導を受けながら詩作に励んだ。詩には農民の生活に根ざした力強さがある。
80 天地静大・二十三年
山本周五郎
小説 昭和三六年(一九六一)・昭和一八年(一九四三)
幕末の動乱期を背景にして、「相馬中邑(なかむら)藩」にスポットをあて、主人公の一人杉浦透が、政治的な意見対立や党派との争いにまきこまれることなく学問に専念していく姿を描いたのが小説『天地静大』である。
また、会津六〇万石取り潰し(つぶし)と妻子の死とに出会った会津浦生(がもう)家の家臣新沼靱負(ゆきえ)(二百石の御蔵奉行)が、婢(はしため)おかやの命を賭けた新沼家への奉公の心を知るのが小説「二十三年」(『小説日本婦道記』所収、刊行されたのは昭和33)である。
88 谷間の太陽・白い壁面
富沢有為男
小説 昭和三一年(一九五六)・昭和三二年(一九五七)
「富吉つぁんは弁当を腰につるすと、七つ道具を入れたリックサックを背中」に三森山へ出発した。満州引揚者で馬賊の将軍もした富吉の幼友達剛さんは、広野町に外地から引揚て来た約三〇家族の指導者に選ばれ、開拓地の組合理事。剛さんの炭ガマ作りを手伝いに出る富吉の姿から始まる。剛さんは子なし、富吉は六人の子持ち、四男照男が開拓地に入り剛さんの姪と結婚、農業をはじめる。戦後の広野町の開拓を描いた『谷間の太陽』は、町の高冷地で水田開拓をはじめた若者を描いて戦後日本の現実を表現した作品。雑誌『地上』昭和三一年七月〜一二月連載。
『白い壁画』は戦前に前編発表。戦後に続編を講談社より出版。続編には主人公加奈子の疎開した広野町の風景を描く。
92 大菩薩峠
中里介山
小説 大正二年(一九一三)〜昭和一六年(一九四一)
音無しの構えで知られる剣客、机龍之助。虚無的な彼の周辺には妖気が漂い、多数の特異な人物が交錯する。豪傑画家田山白雲もその一人で、彼が勿来の関に着いたのは黄昏時であった。「東には海を見晴らし、西には常磐の連山、海は遠く、山は近く、低い雲に圧され気味な、その日の、その時刻。古関の木柱の前に立ちつくして、雲霧と海山とをながめ渡して、白雲はホッと息をつきました」。
そこへ、里の乙女が鄙唄を歌いながら通りかかったのが縁となり、小名浜の網元の家で幕末の風雲児雲井龍雄を相手に絵画論を展開。勿来の巻を含むこの未完の大長編を介山は、思想小説と自負していた。
99 洟(はな)をたらした神/阿武隈の雲
吉野せい/三野混沌 手記/詩
昭和四九年(一九七四)/昭和二九年(一九五四)
『洟をたらした神』は、詩人の夫と共に厳しい自然の中で開拓農民として、貧困と闘いながらたくましく生きた農婦・吉野せいの身辺雑記である。著者七〇代の作品で、見事な晩年の開花である。表題の「洟をたらした神」とは、袖を鼻汁で光らせながらも、たくましく育つノボル少年の話。開高健はこれを「一刀彫を見る思い」白井吉見は「記録がそのまま文学となっており、むしろ芥川賞」と評した。草野心平、串田孫一の世話で出版し、田村俊子賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。
『詩集 阿武隈の雲』は、混沌が妻せいと共にした開墾生活の心情を謳ったもので、「収穫」の冒頭は次のとおりである。
暗い空に穴がある。
幾本も幾本も明けた。
よく見ると無数にある。
無智が、そうではない、依怙地が。
草野心平の長い序文がある。