ふくしま文学のふる里100選-023/30page
安岡章太郎(やすおか・しょうたろう)
大正九・五・三〇〜、高知市生。『悪い仲間』『陰気な愉しみ』で昭和二八年芥川賞受賞、同三五年には芸術選奨、野間文芸賞を受賞した。
中村真一郎(なかむら・しんいちろう)
大正七・三・五〜、東京生。翻訳、小説、評論で西欧文学を紹介。また日本の文学的風土に鍬を入れ、昭和四七年には芸術選奨を受賞した。
榊山潤(さかきやま・じゅん)
明治三三・一一・二一〜昭和五五・九・九、横浜生。他の著作に『をかしな人たち』『上海戦線』等がある。
昭和一九年東京の空襲が激しくなり、妻の実家のある二本松に疎開した。敗戦後に『私は生きてゐた』(昭22)を書いたが、連合軍総司令部の検閲削除を受け、創作欲を失ったり健康を害したが、その後『歴史』の第三部を地元の『福島民友』に連載した。明治一五年の自由民権運動、福島事件までの歴史を描き、昭和二六年九月に『歴史』(全)を刊行した。
東野辺薫(とうのべ・かおる)
明治三五・三・九〜昭和三七・六・二五、二本松生。太平洋戦下の昭和一九年芥川賞を受けたが、中央文壇へ出る機会を失し、地域に残り執筆活動をした。他に『国土』『人生退場』等の作品がある。
真船豊(まふね・ゆたか)
明治三五・二・二〜昭和五二・八・三、現在の郡山市湖南町福良生。早稲田大学を中退し全国を放浪、後に劇作家として認められる。『山参道』『遁走譜』『狐舎』『山鳩』等の戯曲の他、小説『陽気な家族』がある。
28 歴史
榊山潤
小説 昭和一三年(一九三八)
「奥羽鎮撫参謀世良修蔵が、福島北町の妓楼金沢屋で暗殺されたのは、慶応四年閏四月三十日の未明である。この事件を契機として奥羽列藩同盟が成立した。」で始まるこの作品は、作者の岳父である二本松藩上佐倉強哉をモデルとした主人公の青年武士片倉新一郎の戊辰戦争の激動期を生き抜く姿と、二本松の霞ヶ城の落城と人々の運命を合せ描いた作品。雑誌『新潮』(昭和一三)連載。新潮社文芸賞を受賞した。
30 和紙
東野辺薫
小説 昭和一八年(一九四三)
「東北本線がほぼ福島県の半ばほどに入っての一小駅安達から東南およそ一里の位置にあるこの上川崎村は、まことに紙の村といってもよかった。これをしないのはわずか数人を出ない資産家か、反対に日傭取や馬車挽などに限られている」と『和紙』の舞台の村を描いた。紙すきを副業とした貧しい村にも戦争の暗く悲しい波がひたひたと押しよせる。主人公の友太は、異母弟の惣吉が兵隊に召集される時に、彼の身重の愛人としゑを両親を説得して自家に迎え入れた。しかし、この友太にも召集令状が来た。出征前夜に二〇ワットの薄暗い電灯の下で紙を漉く。友太の恋人ユミが「あした行くってのに、漉いてんの?」といったのに、「んだから漉いてるで」と答える。戦時下の戦死覚悟の離別が切ない作品。
37 鼬(いたち)
真船豊
戯曲 昭和九年(一九三四)
舞台は「東北地方、鉄道から五六里離れたある旧街道に沿うた村でのこと」第一幕から第三幕「だるま屋万三郎の家」での出来ごと。欲に目のくらんだ人間模様が描き出されている。「炉端に、おしま(二二、三歳)があぐらをかき、独りで焼酎をあふって」いる。その傍に、衰えた陰気なおかじ婆さん(六七、八歳)がじっと坐っている様子から幕が上がる。登場人物は南洋へ出稼ぎに行き金をつくろうとする万三郎、阿母(おふくろ)のおかじ、妹おしま、叔母のおとり、女地主の古町のかか様、伊勢金のおかみ等々などである。身持ちが悪く村を追われた万三郎の叔母おとりが上州で金儲けをして帰ってきた。
「なあおしま、お前だって、荒え世間にもまれて来ただべが、ほんに生れ故郷ほど、せいせいすっとこはねえなァ?」というのである。
38 大地の朝
諏訪三郎
小説 昭和一六年(一九四一)
「白い煙りが、もくもくと、霧の中を走って行った。東北本線の下りである。まだ、朝日の昇らない、稲田や桑畑には、一面の濃い霧がたちこめて、遠い野の涯は、夢のやうに、ぼーっと霞んでゐた。その一角から、肩をいからした安達太郎山が、暁の中に、うっすらと姿を匂わしてゐる」と描かれた小説の舞台は、郡山市田村町の一角である。「阿武隈川と云っても、この辺は、ずーっと上流で、川幅もせいぜい七、八十米位であった」と描かれ、小作農の青年小川恭介と地主のお嬢さんである古河多美子の直向き(ひたむき)な愛情が展開される。新しい農村の建設を目指す恭介、地主のお嬢さんではなく一人の女性として生きようと努力する多美子を通して、戦前の日本農村社会の経済的自力更正を主題とした作品である。この小説は大衆雑誌『キング』に連載されてベストセラーになった。
40 子守学校
菅生 浩
小説 昭和五五年(一九八〇)
作者は「この本は、私の郷里郡山に実在した、子守の小学生だけが学んだ珍しい学校を素材」に描いたと述べる。三部作で『子守学校』、『子守学校の女先生』『さいなら子守学校』から成る。子守と言うのは明治以来義務教育とされた小学校へ入学できない子供たちで、町の商家等で専ら赤ん坊を背負って奉公する少年少女のことだ。明治末から昭和初期この少年少女たちのために開設されてのが子守学校で、郡山の陣屋に実在した。子供たちは町の国道筋の商家等から陣屋跡(現在は繁華街となる)にあった学校へ「からかさ通らん小路」(一部は今も現存)を通って行く。児童文学だが近代教育史も描く作品。路傍の石文学賞を受賞。
県内には優れた児童文学が多く、高木敏子『ガラスのうさぎ』、新開ゆり子『ちいさなちいさな三春駒』や最上二郎『マタギ少年記』等がある。
また子供向けの娯楽作品としては、郡山生まれの絵物語作家山川惣治の『少年ケニヤ』や川内康範の『月光仮面』がある。
上川崎の紙漉(安達町)