サクシード中学校国語から高等学校国語へ-010/43page

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論理的文章の理解(2) 具体例を通して筆者の意見を読みとる

 

◇中・高のつながりを考えたときの指導上の課題と課題解決のための指導のポイント◇

 筆者の考えを正確に把握するためには、論を支える具体例を述べた部分と筆者の考えの中心となる意見を述べた部分とがどのような関係にあるかを明確にする力をつけることが課題としてあげられる。この課題を解決するために中・高ではそれぞれ次の点に注意を払いたい。

中学校  ■具体的な事例が筆者の意見とどのように結びついているのかを論の展開の中で把握させること。

高等学校□一般的な見方と異なる筆者独自のものの見方・考え方を具体例の中から取り上げるようにすること。

 我々が贈り物と言うとき、大抵は物を贈ることを意味する。物に託して自分の気持ちを贈るのではあるが、相手に渡されるのはだいたい物であるのが普通である。ところがフランス語の贈り物という言葉の中には、もと、人を喜ばせおもしろがらせる言葉という意味があった。人を喜ばせるために言葉を贈り物にするという思想があった。これはなかなか意味深いことのように思われる。実は日本でも、古い時代にはそういう思想があった。現代においては言葉を贈り物にするという思想は、我々の中に自覚的にはあまりないと思われるが、平安時代あたりには、言葉は時に最高の贈り物だった。(第一段落)

 それはどういう意味かと言うと、言葉の贈り物が男女の間で決定的な役割を果たすことが多かったからである。もちろん、それは和歌というものを日常の生活必需品としていた貴族階級のことだが、彼らの間では相手に近づこうとするとき相手に贈る最も重要な贈り物は、歌だった。(第二段落)

 ところで、なぜ言葉のようなものが贈り物になり得たのだろうか。思うに、和歌一首一首は実にささやかなものにすぎない。今日わたしたちが読むことのできるそれらの歌の数々を読んでみれば、それらのあまりの平凡さにかえって驚かされるというようなものである。それも当然のことだった。五七五七七、わずか三十一文字の和歌というものは、どんなに工夫してみてもごくわずかな事柄しか言えはしない。けれども、それは一度にはわずかなことしか言えないが故に、かえって徐々に相手に言葉が浸透してゆくものとなり、贈答の繰り返しを通じてしだいに互いの心が見えてくるという効果が生じたのだった。(第三段落)

 我々が人に贈り物をするときのことを考えてみると、この問題はいっそうよく


〔中学校における指導のポイント〕

 高等学校では、具体例よりも論の展開の把握を中心にした授業が多いが、中学校では、自分自身の日常の体験を振り返らせることにより筆者の主張を支える具体例について考えさせることが大切である。論理的文章が、単なる抽象的なものではなく、筆者の熱い思いによって具体的に裏打ちされていることを知らせることにより、文章に対する生徒の関心も深まるものである。

○日常体験をもとにした具体例の理解

 本文の読解においては、「貴族階級における和歌の贈答」について調べさせるとともに、平安時代の例と生徒の現在の日常体験(手紙、電話、など)とを結びつけることや、それらの具体例が「言葉の偉人な力」という論の展開の中で説得力を増すための重要な役割を果たしていることを考えさせることが大切である。

〔高等学校における指導のポイント〕

 中学校の授業においては、グループ学習やペア学習をとり入れるなど指導形態に工夫をして、論と例との区別を理解させる場合が多い。高等学校では、それらの指導形態にも目配りをしながら、筆者の独白のものの見方がどのようにして生まれてきたかにまで踏み込んで考えさせ、具体例の検証を通して筆者の意見を読みとらせることも大切である。

○意見と論拠の明確化

 論点を明確にするため、文章が笹者の意見と論拠となる具


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