サクシード中学校国語から高等学校国語へ-021/43page

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二度あることは と言う通り

別のとしよりが娘の前に

押し出された。

可哀想に

娘はうつむいて

そして今度は席を立たなかった。

次の駅も

次の駅も

下唇をキュッと噛んで

身体をこわばらせて―。

僕は電車を降りた。

固くなってうつむいて

娘はどこまで行ったろう。

やさしい心の持ち主は

いつでもどこでも

われにもあらず受難者となる。

何故って

やさしい心の持ち主は

他人のつらさを自分のつらさのように

感じるから。

やさしい心に責められながら

娘はどこまでゆけるだろう。

下唇を噛んで

つらい気持ちで

美しい夕焼けも見ないで。

(古野弘「夕焼け」光村図書二年)

〔確認問題〕

一 二度席を譲った娘が、三度目には立たなかった理由について話し合ってみよう。

二 娘のやさしい心と美しい夕焼けとの関わりについて、作者はどう思っているのか話し合ってみよう。


○表現効果と言葉に迫る読み

 言葉の多義性、文脈における意味、修辞技法などに着目させる。「うつむいていた」「うつむいた」「下唇をキュッと噛んで」「身体をこわばらせて」などの娘の気持ちを表している表現に着目し、娘の心の緊張と高まりをとらえさせる。

 「次の駅も」「次の駅も」という繰り返しに、作者のどのような気持ちが表れているか考えさせるとともに、「どこまで」という表現に含まれる二重の意味を感じとらせる。(「電車に座ったままどこまで」と「彼女の人生の道のりのどこまで」)

 また、倒置法や漸層法的な表現にも着目し、「受難者」という言葉のもつ「けなげさ」や「けだかさ」などの崇高な姿を感じ取らせる。

○表現を通して主題へ

 この詩は、市内の様子や出来事を淡々と叙述している前半部と、作者の娘への思いが述べられている後半部とに分けられる。「やさしいこころ」に責められる娘をいたわるとともに、単なる同情や共感にとどめずに、「受難者」という比喩を用いて人類や社会の中における人間としての生き方の問題として主題を深めていることを理解させる。

 

【詩に関わる参考事項】

◆高等学校教科書に採録されている吉野弘の詩には、次のような作品がある。

 「I was born」(「国語1」)

 「素直な疑問符」(「国譜1」)

 「みずすまし」(「国譜1」)

 「真昼の星」

 (平成八年度福島県公立高等学校入学者選抜学力検査問題に出題)


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