サクシード2中学校国語から高等学校国語へ-022/81page

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(2)見えるものから見えないものへ
   一想像力を育成する一

●目を閉じること
 私たちがものを考える場合に、「目に見えるもの」だけでなく、「目に見えないもの」を想像することにより、豊かな世界が広がっていきます。一日の数分、あるいは、授業中の少しの間、目を閉じて普段忘れていることや視覚以外の感覚を解放していくことによって、豊かな内面が見えてくる場合も多いといえます。
 また、視覚だけではなく、聴覚や嗅覚あるいは触覚、味覚といった感覚を大切にすることも、ものを考えるときの大きなきっかけになります。目を閉じることによって世界を考えること、そして、想像力をかきたてられる場合は多いといえます。文学作品の中でも、目に見えないものの大切さを訴えたものが少なくありません。例えば小説家であり、職業パイロットでもあったサン・テグジュペリの「星の王子さま」(原題Le Petit Prince)などはその典型です。
 また、映画においても、チャップリンの「街の灯」「ライムライト」「キッド」、ベルイマンの「第七の封印」「叫びとささやき」、あるいは、最近の作品では、「シャイン」「グッド・ウィル・ハンティング」「この森で、天使はバスを降りた」等、目に見えないもののもつ価値を映像化した感動的な作品が数多くあります。文学作品だけでなく、音楽・美術などの芸術をとおして、ものを見る目を身につけていきたいものです。

●痛みから考える
 日常の生活の中で、病気やけがで普段の身体と状況が異なるとき、人はこれまでとは違った新たな考えを生み出すことができます。私たちがマイナスの要因であると考える痛みも、人間の思考を活性化するうえで大きな意味を持つ場合があるのです。
 漱石は、修善寺の大患を経て作家としての深みをましたともいえます。後期三部作といわれる「彼岸過迄」「行人」「心」の作品のモチーフの一つは痛みである、という研究もあります。
 大切なことは、自然などの自分を取り巻くものだけでなく自分の身体そのものにも考える契機があるということです。

見えるものから 見えないものへ

●感覚をとぎ澄ます
 時間の流れを機械によって計るようになってから、人間は大切なものを失ってしまったと指摘する人もいます。ミヒャエル・エンデの『モモ」という作品は、現代の人間の心のようすが描かれています。心は目に見えないと言われます。しかし、心は目に見えないどころか、私たちは日常生活の中で、自分のせわしない心をむしろ無防備なほどに他の人たちにあらわにしているのかもしれません。余裕、ゆとり、潤い、こうした言葉のもつ意味をもう一度見直すためにも、目を閉じてみることが大切です。
 例えば、降りしきる雪を、次のように表現している作品があります。

 音もなく限りなく降ってくる雪を見ているうちに、雪が降ってくるのではないことに気付いた。その知覚は一瞬にしてぼくの意識を捉えた。目の前で何かが輝いたように、ぼくはっとした。
 雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた。ぼくはその世界の真中に置かれた岩に坐っていた。岩が昇り、海の全

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