教育福島0001号(1975年(S50)04月)-027page

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傷口の痛み

鈴木京子

 

教師は聖職者か労働者かと問われれば、この職業の持つあまりに大きな権威に、私は、聖職者だと答えたい。他人の心情と秘密にこれだけ立ち入ることが許されるのは、やはり聖職に就く者だからであろう。まるで、ざんげの内部を闊歩できる牧師の如き堂々ぶりだ。

さて、自分の最も柔らかい傷口をのぞかれる生徒の心理は、どうであろうか。それについて、対照的な二人の生徒の反応が思い浮かぶ。心理は一つである。

一人は、数年前の卒業式の後、突然私宅を訪れた男子生徒Hである。私は一年のときは授業に出ただけだったが二年と三年のときはよく廊下で呼び止められ、父親が死んだことや、就職が決まったことなど、人なつっこく話しかけられたことがあった。

「先生、おれ、中学のとき、シンナー遊びもした、かっぱらいもした、何回も補導された不良だったんだぞい。なんてったって、たいていの先生、おれの顔見っとあいさつしたもんない、またシンナーやったか、たばこやめたかって。先生、知んねがったべ。んだからおれ、先生には安心していたぞい。これ言いに、バスさ乗って来た。」

この子の涼しい顔が忘れられず、それ以来、他人の過去を裁いてはならないと、肝に銘じている。人はだいてい新しく出発したいと願っているのだ。

裁かれなくても、泥まみれの過去を知られている相手は、できることなら避けて通りたいのだ。十五歳の子は、三年たてば十八歳になる。しかし私たち教師は、その三年の歳月に起きている生徒の変革よりも、十五歳の未熟な人格に目を奪われやすい弊を持つ。

もう一人は、社会の末端に位置づけられる無学な父母を持つS子である。貧困ゆえ股関節脱きゅうが放置され、片脚の成長が遅れて、揺れるように歩いた。

この子は、よく無断欠席をした。納入金の話を切り出すと、たいてい、はでな家庭争議になり、酒乱の父になぶりものにされ、学校を放棄してしまうのだ。修学旅行のときに一つの波があり、アルバム預金をめぐって、二つめの波が訪れた。

どんな理由にせよ、無断欠席は、私への信頼を裏切ることになると言い聞かせる私の前で、S子は沈黙し、やがて泣き出してしまった。

「先生、金がかかるから学校やめろって言われるんです。おまえはくさい何だかくさい、寄るな、出て行けって」

ことばにならないことばを捨い集めるようにして、S子は話した。

ここ一か月、つけもの以外のおかずを口にしないこと、十円のコロッケ一つが学校での昼食であること、空腹で雪の中を歩いて帰れば、一時間はかかり悪い脚が痛むこと、自分は再婚の母の連れ子なので、冷遇されること等々、

聞いていて私はS子の父のおとなげのなさに立腹したが、教師として助言する以上、冷静に判断せねばならない、

−あなたに、父を怒らせる言動はなかったか。一つの職を失い、かけずりまわって、今やっと新しい職についた父親は、不安にいらだつ一人の男性なのだ。金のことは親に言うな、私が出す。尽くすだけ尽くして、なおかつ家を追われたら、やけをおこさず、私の家においで。あと一か月しんぼうすれば、月給取りになれる。

私の頭に自宅の空き部屋が浮かび、S子の使う寝具のことなどがよぎった。

S子は何度もうなづき、泣いてはれぼったくなった顔をあげた。

翌日、かんづめやバスの回数券を買い与え、アルバイト先を捜したりしている私に、学年主任が助言してくれた。

「HRTが物的援助したって、S子の問題は解決しない。父親の意識を変えさせなければ、だめだ。」

私は自分の思い上がりを反省し、主任と家庭訪問をした。二日酔いでつぶれていた父親を起こして、数時間、口角あわをとばした。とにもかくにも、卒業納入金は出してもらえたのである。

Hからは手紙が来る。S子と別れて五十日になるが、何の音沙汰もない。多分、彼女の傷口は、今痛んでいるにちがいない。私を忘れたいほどに。

(県立須賀川女子高等学校教諭)

 

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