教育福島0001号(1975年(S50)04月)-030page
教育随想
ふれあい
浜の子らとともに
斎藤茂良
「水澄める松川の浦、とりどりに映ゆる島山……」の元気な校歌で迎えられ早二年。伸び伸びとして淡白な反面仕事に耐える力に欠け生活行動が粗雑な印象を人に与えるのが本校生徒である。
生徒会活動も低調であった。自分の欲求を自らの力でコントロールする自律性にとぼしい。この本校生徒の弱点克服の道として、特に生徒会活動を最重点目標に取り上げ、日常生活のルールを主体的に受け止め、実践する生徒をめざして全職員一丸となって取り組んでいる。
校則、生活のきまりも他校のものとほとんど変わらない。しかし守れない。とりわけひどいのは買い食いの問題である。登下校はおろか、校内にも持ち込み教師の目を盗んで食べる。ひどいのは授業中にガムをかんでいるものもいた。そこで生徒会指導を担当するに当たって、この買い食い問題が生徒のきまりを自ら考えさせるのに絶好のテーマと考えた。まず、生徒会執行部とともに生徒の登下校の状況を実際に見ることにした。小学生は整然と歩き、買い食いの姿は見られない。彼らもかつてはこうであったのだが………。先輩教師から聞くところによると、「中学校は部活動と買い食いができるから楽しい。」と言う。見られても平然としている生徒が多いのだ。地区民からの苦情もほとんどこの食い散らかされたゴミのことであった。その姿を執行部員はただ黙って見ている。そのうち、「先生、やっぱり買い食いはカッコ悪い、なんとかすっぺや。」副会長であった。
次回から、ただ見ているだけでなく散らかったゴミを拾うことにした。仲間の捨てたアイスクリームの袋、パンくず、あめの紙………と手を泥にして拾い合った。一般の生徒はさすがにこの姿を見て、カッコ悪くなったのか買った食べ物を隠すようになった。が、買い食いは依然減らない。
そこで、執行部は会員に買い食い禁止の提案をすることになった。評議員会での話し合いとなる。反対意見として○部活動するものにとって学校給食だけでは不十分だ。賛成意見として○むだ使い ○交通のじゃまになり危険だ ○ゴミを散乱させるのは恥ずかしい。結局、部活動を五時以降も続ける生徒には次の条件がついた。(一)店内で食べる。食べながら歩いたり自転車に乗ったりしない。(二)食べ物を学校に持ち込まない。これが彼らが自分で見つけ、自分で決めた最初のルールである。
最近では地区からの苦情を聞かないし、前のような買い食いは少なくなったのは事実である。校則にこうあるからこうしなければならない、というのでは自律性は育たず長続きしない。
特に本校生徒にとってつねに“なぜ”このきまりがあるのか考えさせると同時に、なすべきことを行動を通して、体で覚えさせねばならないことを知った。守ることはおしつけでなくあくまで自覚を促し、生徒の社会性、自主性を高めることから始まると、まず教師が受け止める姿勢を持つことだ。
他に生徒会活動で力を入れているのは、話し合い活動の大切さを知るため年一回、地元の青年の家で、リーダー合宿訓練を実施することである。この活動を通しての効果は微々たるものではあろうが、教師と生徒の距離が近づいて一体感が深まって来ていることは事実である。話し合い活動も単なる話し合いではなく、実践を志向するものになりつつあるのはうれしい。
今後、本校教師として特に考えなければならないことは、まず地域の特性を根っこからしっかりつかむこと。地域の社会構造、父母の願い、教育への関心等を、父母との話し合いでつかむことである。そのために部落懇談会、家庭訪問、運動会での接触をもっと大切にしなければなるまい。
中学校教育に対する父母の関心は今や、高校入試準備教育の期間として受け取る傾向が強いのが現実である。本校も年々その流れにおされ気味である。学習成績の結果だけを気にする父母が増えているのも事実であろう。子供の成長段階で最も重要な時期にあるこの中学校教育を、改めて正しく見直す必要がある。知、徳、体のバランスがとれ、自主・自律性を備えた生徒を実践活動を通して育て上げ、中学校教育の重要性をもう一度父母に問うてみたい。
(相馬市立中村第二中学校教諭)