教育福島0001号(1975年(S50)04月)-032page
教育随想
ふれあい
この子らとともに
佐藤美代子
登校した子供たちは、ランドセルを下ろすと一人二人といつの間にか先生を取り囲む。そして自分のことから友人、家族、テレビのことなど得意になって話しかける。「先生、うちの父ちゃん、コジキのハクサイ、作ったよ。」よく聞くと、父ちゃんがきじの子をとってきてはく製にした。」ということだった。朝から笑いが止まらないときがある。一々うなずいてやると満足して席に戻る。こんな事から一日の学校生活が始まる。
昨年、一年生の担任をしていたときの事である。前日行事で教室を使ったので机の整理のため早目に出勤した。教室に入るといつも笑顔の女の子が来ていた。机も並べ変えられていた。私が「ありがとう。」といったがつまらない様子だった。顔を見ると左頬に傷がありはれ上がっていた。男の子の投げた石に当たった事を話してくれた。「お母さんは知っているの。」と聞くと「教えなかった。」と言った。私は母にも言えない事をいつもより早く登校して話してくれたことに胸がいっぱいになった。わがままでいばりやのその男の子が来たら、こらしめてやろうと待っていた。間もなくその子が元気よくあいさつをして入って来た。早速理由を聞くと通学路の石が危いから空き地の方へ捨てたので、よい事をしたと思っていた。男の子は、けがを知らずに帰ったのだった。その日の学級指導に、その事を取り上げた。そして「自分でやられていやな事は、友達にもしてはいけない。」と約束させた。男の子は、女の子になんども謝っていた。
下校時に、両親の気持ちを察して女の子の連絡帳に事の次第を書いて持たせた。翌日の返事には、母や兄弟がいくら聞いても「転んだの。」とかくしていたのに、先生にはほんとうの事を言ったことと、友達をかばうほどおとなになったことがうれしいと書いてあった。男の子にも連絡帳に書いてやった。幸いどちらの家庭も理解がある人なので「すみません。」「お互いさま。」が交わされたらしく、親たちも子供たちも前よりも親しくなった事を後日聞かされて安心した。
男の子は、頭はいいが協調性とか親切心などに欠けていたので、その子の母と私は連絡帳を橋渡しに意見を交わすことに力を尽くした。
そんな事があった直後、別の女の子に配られた給食のコッペパンが、パン皿に付け合わせのつけ物の汁でベトベトになった。その子は、「こんなのいやだ。」と持って来た。みんな同じだと話しても聞かないので、私のと交換してやろうとしたら、例の男の子が「ぼくのと取り替えてやる。」と交換した。早速この子の、こんな思いやりの心が明るい教室を作るのだと言って、みんなに話してやった。その後も、友達の傷んだバナナと交換してやるなど見違えるようになった。
その男の子も今年は二年生になり、リーダーとして活躍するようになった。
昨日は、春の遠足で専称寺へ行った。「先生やっから。」と一つぶのキャラメル、一枚のせんべいをぎっしり握りしめて差し出す子。「先生いっしょにお昼食べようね。」と寄って来る父子家庭の子。「リュックこわれた。」と泣きべそをかく子…。「花いちもんめをしよう。」とセーターを引っぱりながら私を広場へ連れていった。大勢の子どもに「先生取りたい花いちもんめ。」「先生がんばれ。」の応援を耳にしながら数人の子供を相手に力いっぱい引き比べした。歓声がわいた。
最近は、母親も外で働くことが多くなり子供と接する時間が少ないようである。だからお話の本を読んで聞かせるお母さんも少ない。対話も少ない。だからなんでも話せる教室のふんい気を作り、なんでも聞いてやれる先生でありたい。そして先生として厳しい指導をする中でもあるときは母親代わりになって温かい心で語り合うひとときがほしい。これも女教師の一役と考える。これから出会う数多くの子供たちとも心のつながりを大切にして楽しい思い出を幼い心に残したい。
明日の子供たちの話題を楽しみに、今日も校門から出て行く子供たちの後ろ姿を見送る。
(いわき市立平第三小学校教諭)