教育福島0001号(1975年(S50)04月)-033page
Kとの一年
門馬正広
昨年四月、初めて五年一組の担任として、教室に入ったとき、私に近寄って来る一人の子供がいた。Kである。まるで友だちのように私に話しかけて来た姿を今でも覚えている。異常に私に近づくKをしだいに気にとめるようになった。
そんなある日、二年のときに担任した先生からKのことで助言を受けた。
「入学当時から問題児とされ、最近になってやっと落ちついて来た。とにかく目の離せない子供だ。」と。
この日から私のKに対する印象が変化したことは事実であった。授業中ことわりもなしに席を立つ。きちんと席についているかと思うと隣りの子供にいたずらをする。突然大声を出す。
こんなKの行動が、初めて教壇に立ち、授業をすることが精一杯だった私をいらだたせ、Kをしかるのが毎日のようになった。が、次の日にはまた笑顔で登校するKの姿を見ると、
「私はなぜこの子供をしかるのだろう。」と考えるようになった。なぜしかるのか……。他の子供たちに、あるいは私にとってじゃま者であったからか…。
本当に彼の事を思ってしかっているのか疑問を感じるようになった。学級全体のふんい気がKをべっ視している状態であることを早くから知ってはいたのではあるが、いつの間にか、私もその集団の中へ足を踏み入れつつあることに気づいたときは随分時間が経過していた。
教師までがKをのけ者扱いにしていたのではなかったのか。教師がまず彼の存在を認めてやることが第一ではないかと気づいた。
私はおくればせながら一人一人を大切にする教育に目ざめてきたのである。それで、まずは学級づくりが大切であることに気づき、仲間のKに対する意識を少しでも変えようと考え始めた。学級指導、下校前の反省会等で「相手の立場を考えよう。」と、しきりに子供たちに呼びかけた。もし自分であったら……、どんな気持ちになるだろうと考えさせることにより、Kに対する仲間の偏見を取り去ろうと思っただがなかなかうまく行かなかった。
つまづいてしまった私は、とにかく学級におけるKの存在を認めてやらなければと思い、いろんな仕事を彼に頼むことにした。元来、気持ちの優しい彼は喜んで手伝ってくれた。本当に生き生きとした彼の姿を見ると、私までが思わず心がはずんで来た。休み時間はできるだけKと接することにした。教室の片隅で取っ組み合いをして汗を流したり、Kの好きなテレビ番組の話をしたりして心の交流を図った。学習指導面において救いの手を差し出すことのむずかしかった私にとっては、悔いの残った一年ではあったが……。
六年生になった現在、Kの姿を見ると成長のあとが見受けられる。清掃の時間になると、それまで決まって雲がくれしていたKが、早く取りかかるようになり、隅々まで掃除するようになった。他の子供が遅れて来たりすると注意をするまでになった。また、学習態度にも、意欲がみられるようになりノートもだんだんていねいに書くようになって来た。
この意欲を大切に育て上げて行くのが私の使命であると心に言い聞かせつつ、この一年を、私にとって価値ある年としたいと考えている。Kが将来立派な社会人として成長する日を夢みて−。
(伊達郡保原町立柱沢小学校教諭)
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