教育福島0002号(1975年(S50)06月)-038page
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教育随想
ふれあい
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日記を通した指導の一断面
安斎 保
日記を通して児童との人間関係を密にし、心と心の触れ合いを契機とした教育を志向して、すでに久しいかその中で印象に残っているケースをあげてみる。
○月○日
先生、ぼくは、先生、ほんとはおねしょうをしてしまうのです。ぼくは、それもときどきです。うちのとうちゃんがなおる薬を買ってきてくれるのですがなかなかなおりません。先生にだけこのことを教えてあげますからだれにも言わないようにしてください。おねがいします。このことを書いたわけは、みんながぼくのことを「くさいから寄るな」と言うし、和子ちゃんにも授業中に「くさい」と言われているので、このことを書きました。
これは、前任校で五年生を受け持っていたとき私のクラスにいたO君のある日の日記である。
何年か積み重ねて来た日記を通した指導の経験の中で、この告白ほどわたしの心を打ったものはない。どんなにつらいことだろう。苦しいことだろうこの子のことを思うとやるせなかった小便のあのにおいがこの子供を苦しめている。血のにじみ出る思いで打ちあけてくれたO君に対して、私は次のように書いてやった。
○月○日の日記、先生何回も読んだ。よく書いてくれた。ありがとう。おまえの日記を読んでいるうちに、先生は自分の弟のことを思い出した。中学一年のころまで時々寝小便をしたものだ。そして、朝かあちゃんに見つかっておしりがまっかになるくらいけつっぱたきをされたものだ。先生の弟は勉強もそんなにできなかったし、走ってもカメのようにのろく運動会だっていつもビリだった。だからまるでだめな子供のように思われた。寝小便もするしな……。
しかし、今はどうだ。寝小便などなおった。東京でよめさんをもらい、りっぱに仕事に励んでいるよ。
おまえの寝小便もすぐなおる。心配するな。それでこれから先生が言うことをよく守るのだ………。(略)
母親のいないO君は、五年生になっても寝小便が止まらない。父親は東京に出かせぎに出ている。中学生の姉が一家の中心となって家計をきりもりしていた。
決して恵まれていないこの少年を救ってやりたい。少なくとも「寝小便」の癖くらいなおしてやれない教師では情ない。なんのための日記による指導なのか。私は、養護教諭をはじめ学校長にまでO君の話を持って行きできるだけの指導助言を仰いだ。そして精一杯の思いを赤ペンに込めて書いてやった。
数回に及ぶO君との寝小便論議?のあと、彼の旦記帳にはもはやはじめに書いたような深刻さは見当たらなかった日常生活にも生き生きとした姿が感じられた。
子供たちの長い人生の中で私との短い触れ合いが、どれだけの意味を持つものなのか、あまり自信を持っては言えない。しかし教師として人間教育の舞台に立った以上、その役目を自覚し精いっぱいの努力をしたいものだと思う気持ちは今も少しもかわらない。
そんな思いもこめて、きようも子供たちの日記に私は赤ペンを走らせる。
(東白川郡矢祭町立関岡小学校教諭)
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