教育福島0003号(1975年(S50)07月)-025page

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図書館だより

 

親子読書運動の推進

 

社会構造が複雑になるとともに、家庭では核家族化が進み、親と子の対話が失われることの危険性が叫ばれています。経済優先の社会の中で、受験体制が子供たちの生活をより息苦しいものにしております。

また、テレビや週刊誌に代表されるマスコミの発達によって、私たちの身の周りにはたくさんの情報が流れていますが、私たちはそれらたくさんの情報を選択し、判断する訓練を十分に積んでいるでしょうか。トイレットペーパーの買い占めや石油ショックの一連の事件を振り返ってみるとき、私たちは自分の判断力に自信を持ってOKサインを出すことに、ある種の後ろめたさを感じざるをえません。今日の社会は、大人ばかりでなく子供たちの生活にとっても情報過多の時代で、子供たちもたくさんの情報に押し流されることなく、自分自身を見失わないようにすることが要求されます。

テレビを例にとってみますと、速報性、大量性、同時性などの利点を持つ反面、受身、一方的、その場限りなどのマイナス面のあることも見逃すわけにはいきません。思考力や判断力を養い、豊かな人間性を形成する一つの手段としての読書の重要性が、大きくクローズアップされてきました。そして親と子が楽しみながらいっしょに本を読み、それについて話し合うという行為の中から、親子の対話を取りもどし他の生活の面にも波及させようというのが親子読書のねらいです。家庭で、毎日教科書以外の本を親子で読む、そしてそれを話し合いの糸口にする、たったこれだけのことが親子読書です。毎日が無理なら一日おきでも、一週間に一ぺんでも結構です。子供のお相手は両親とは限らず、おじいさんでもおばあさんでも、また兄弟どうしでもよいわけです。夕食の後のだんらんの一時、各家庭で無理のない形で始めることができます。

親子読書を始めるとき、次の点に注意してください。

親子読書は、子供に読書の習慣を身につけさせるのも目的の一つですからぜひ長く続けてください。楽しいふんい気の中で行うのが、長続きのコツです。

スイッチ一つで絵と音が出てくるテレビに慣れているテレビっ子にとって本を読むということは、初めは大変努力のいることですし、子供の読書力は個人差が大きいものです。それを無視して、「何年生だから…。」といった本の与え方は、子供の負担を大きくします。ですから、本の選択はなるべく子供自身にさせ、大人の押しつけはできるだけ避けてください。

また、感想の無理強いは、楽しいはずの親子読書を苦しいものにしてしまいます。子供たちが、感じたことを自由に表現できるようなふんい気作りに努めてください。

「うちの子は本ぎらいで…」と親子読書を始めるのをちゅうちょされている人がいるかもしれませんが、県立図書館に来る子供などを見ていると、本当に本ぎらいな子供などいないのではないか、とすら思えるほど、大人のちょっとしたアドバイスや手助けで本にとびついてゆきます。本ぎらいな子供には、本ぎらいになる原因がなにかしらあるはずですし、またその子供は、本当の読書の楽しみを知らないのかもしれません。原因を捜し出し、本ぎらいの壁を少しずつ取り壊していってください。

昭和四十七年に始められた県立図書館の「親子読書運動」も、今年で四年目を迎えました。当初七か所だった親子読書文庫も、現在では十三か所に増えました。市町村教育委員会、教育事務所から推薦された団体に、一セット百五十〜二百冊の子供の本(若干の大人の本も含む)を、年三回のセット交換で、三年間県立図書館が貸し出すという方法で、親子読書運動を進めておりますが、各地で好評を博し、着々とその成果をあげております。

現在の利用団体を大きく二つのタイプに分けることができます。一つは、小学校のPTAの事業運営の中で、もう一つは、家庭文庫の利用者で自主的に自由な形で、というタイプです。どちらの場合も、実行対象は各家庭になりますが、PTAによる運営は、やがて集団読書への拡大、更には地域全体への浸透といった要素のある反面、学科との関連性が強調されるあまり、本来自由で楽しいものであるはずの読書が、感想文のための読書になりがちです。家庭文庫においては、子供たちの読書意欲に親の関心が伴いにくく、文庫経営者の指導力や熱意、地教委、公民館、図書館などの援助も、親子読書を進めてゆく上で重要なポイントになっているようです。

いずれにしても、一家族だけ、あるいは一つの機関だけの努力では、実施面において困難も多く、今後ますます家族、学校、教育委員会、公民館、図書館などとの緊密な連携が望まれます。

 

 

 


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