教育福島0003号(1975年(S50)07月)-031page

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異常言語児の治療指導

坂本達也

 

山あいの炭鉱の町に赴任して数年、学級の中に不完全な言語活動のため、あらゆる学習活動に障害を来たし、発達途上の生活で苦難の道を歩んでいる児童に遭遇した。丁君の言語障害は、身体的欠陥と精神的遅滞が密接な関連を持って成長過程に存在してきた。その異状を発音上から考察するに、次の三条件に規定され、治療の要を迫られた。

(一) 精神発達全般の遅滞が知能の遅れとなって現れ、そのための劣等感から性格面に大きく影響してきた。

(二) 幼児的発音の習慣から脱却できず甘ったれ子としての特性が発音面に露骨に表れてきた。また家庭環境的に発音の欠陥があり、子供はその不完全な言語環境の中にあって、聴覚訓練、発音訓練が不十分なために、その遅れを生じてきた。

(三) 発音器官、すなわち舌唇、口蓋、声帯及び間接的に発音能力に影響する聴覚の欠陥等身体障害に災いされた。

T君は極端な吃音児で特別な調査の結果、次の事実を確認することができた。すなわち幼児(三歳時)に熱病を患い、入学前に親類に養子入りをしていること。この児童は他に盗癖があり、他の児童との交友も少なく、心理的にも自信の喪失が明らかであった。情緒の安定度も低く、学習活動にも大きな障害となっていた。そしてこのような状態は循環的にマイナス面に拍車をかけ、感情的に悪い結果が連続していた。この児童の生育歴を養父母の理解ある協力によって詳しく調べてみると、幼児期に実父の度外れな厳しい生活を強いられ、養子入り当時は、毎日のようにしつ声体罰が絶えなかったという。また、兄(長子)が異常な盗癖を持ちその影響が相当大きかったようである。その盗癖に対する周囲の指導が、吃音に一層の深さを増し、根強いものへと進行させたようである。

かくして知能的には中位にあるこの児童は、取り返しのつかない言語障害を起こしてしまった。

〈治療の対策〉

(一) 子供のテンポに合わせた時間的ゆとりの確保。T君はなにか生活全般にあせりを抱き、自己の欠陥に対し過剰に意識を高め、その反動を劣悪な素行にまで伸ばしてきていた。そこには絶えず劣等感がつきまとい、交友関係にも明るさが欠けていたのである。彼の行動に対しては、ゆっくりと反省の機会をつかみ、安定感の育成を図ることに努めた。

(二) 遊び方訓練の助長。T児を取り巻く生活環境で遊びの位置を高く評価し遊びの中に抵抗点を配分し、成功感を体得させるよう努めた。その記録を児童自身に持たせ、遊びの楽しさに浸らせ、三行作文の集積を継続してじっと見守っていった。他の児童の学級生活記録とともに、赤のサイドラインを加え、明るい喜びを造作していった。T児は次第に自信を高めてきた。

(三) 労作業による激励。幸いT児は身体活動をこよなく好んだ。その成果は他の児童も認めるところがあった。その好結果を全員に紹介し、承認と賞賛を浴びせた。T児はほおを赤くして喜んだ。彼の口から言葉がわき出してきた。

きつい作業ほど 彼は腕をふるった。そして次第に学級に溶けていった。ごく自然に、そしてゆっくりと。養母の参観度が増してきた。来校が楽しくなってきたという。

(四) 問答活動にうなずきを。声の相互伝達は、体と、心の接触を示す人間特有の権利である。彼は担任との会話を好んだ。なにを話しても恥ずかしさを覚えず、自己を少しずつ実現していった。極端な内向性が少しずつ溶解していった。言葉の暖房に支えられて、暗く冷たい日々の行動が柔らいでいったのである。

教師のうなずきは周囲の友人のうなずきに広がり、やがて彼自身のうなずきへと変客していった。人間の持つみずみずしさを、彼はじっくりと体内にかみしめることができたであろう。

遊びと労働は人間に与えられた本能であり、子供の人格を育成する不可欠の要素である。かくて異常言語の矯正に傾注して二年、彼は六年の終末を迎えた。卒業式の当日、母に付き添われて帰宅の途につく彼の晴れ着の後ろ姿は、彼の残した写真とともに、いつまでも私の脳裏に焼きついて消滅することがないであろう。

(いわき市立綴小学校教諭)

 

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