教育福島0003号(1975年(S50)07月)-032page

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教育随想

ふれあい

“私の思い”とひとこと

 

“私の思い”とひとこと

橋本千勝

 

「先生お元気ですか。私も元気です。今日で、卒業してから、ちょうど一か月たちました。家に帰り、カレンダーを見て思い出しました。そしてあのときのことが思い出されてきて、涙が浮かんできて、泣いてしまいました。今日も化学のK先生が、黒板の前に立っていろいろと化学の話をしていると、なぜか先生の姿のように見えてきて、懐かしくなり、今にも、『千勝先生!』って呼びたくなりました。K先生が黒板の前に立って、理科の話をするのを聞くのは、いやでたまりません。涙が出てきて、あるとき止まらなくなってしまいました。今だって思い出しながら………」 (後略)S子からもらった手紙のはじめの文です。

あの卒業式の日、あふれ出る涙をこら、えもせず、出席番号一番のA君の卒業証書を手にしたまま立っていた私。教師生活十三年、どうしてこのように感動するのだろうか、自分にもよくわからない。ただ言い得ることは「私が子供たちの中にいた」という自負であります。

「自分を形づくっているいくつかの『自己』」この自己形成は二種類あるでしょう。その一つは「自分の体験がそのまま意識されてできた自己」と、もう一つは、他から「おまえはこういう人間だ」と言われて「それを信じ込んでしまってできる自己」であります。教育への私の思い≠ヘ前者の「自己」をいかに形成させるかでありますし、後者で形成された「自己」であっても「自分」をよく見つめているうちに自分と一致した意識にたどりつけるようにする。すなわち「あいまいな自己と自分」とが「ここがこのように違う」とはっきりさせることができるなら、それは自らの力で修正し、作り変えて生きることができるでしょう。「ここが違う」と意識させるにはいろいろな方法がありましょう。まさに成長している人間は、直接的、間接的経験によって認識され、明瞭化されていくのでしょうが、そう簡単にいかないようです。そこで、多くの先生がたが口にするように、時間的ゆとりのない私も、子供たちに「自分と対話」させ、それを私が読み、一人一人と触れて≠ンようと試みたのです。

各自一冊のノート、一年間の流れから意図的に与えたテーマ。その中に三回ほど保護者のかたにも入っていただきました。残念なことには、まだ、四十五冊のノートが、整理されていないのです。本年度は、保護者のみなさんと数冊のノートを通して、教育について対話してみたいと考えています。

教育における人間像は 1)成長の結果、ある人格を持って生きている面、と2)まさに成長しつつある面、の中で2)に視点と力点を置かなければならないと思っています。これからの教育は子供の「良さ」を伸ばす活発さが必要≠ナあり、人間は皆「素質」は同じで、違うところがあるとすれば、それは「活力」(バイタリティー)であると思うのです。

よいものを作り出すことのできる人間を育てること一が教育愛であり、それに向って子供らと触れ合い≠スい私の思い≠ナす。

 

「中三のあゆみ」

−自分との対話−

ここに書くということは

自分との対話ではないか。

自分のあいまいさをはっきり

させることではないか。

そして、自分との戦いではないか。

人生の壁は

自分の目標に向って本気になって

ぶつかっていく人にのみある。

この壁は、暗く重いものでなく

人としての生きがいの壁である。

(1)私のめあて

※親の願い1子供へ、先生へ

4月 (2)私の家庭

(3)私の性格

5月 (4)修学旅行のひとこま

(5)学級の健康診断

6月(6)私の悩み

(7)みんなに訴えたいこと

7月 (8)夏休みはこのように過ごす

(9)三者面接で考えたこと

8月 ※わが子の勉強に思うこと

(10)私の健康度合い

(11)受験勉強の心構え

9月 (12)先生のこと

(13)もしできるものなら

10月 (14)私の友を語る

(15)こんなことを知りたい

11月 (16)私の選んだ道

(17)私がやる気を出したとき

12月  (就職、その喜びと不安)

(18)雑感

(19)後輩に告ぐ

1月 (20)係活動を通して得たこと

(21)父母に感謝すること

2月(22)中学時代

その喜び、悲しみ、苦しみ

(私の十大ニュース)

(23)10年後の私

3月 ※親から先生へ

(24)先生、友よさようなら

 

(郡山市立郡山第五中学校教諭)

 

 

 


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