教育福島0003号(1975年(S50)07月)-037page

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わが村の生がい教育

 

高齢者教育にアクセント

大沼郡昭和村教育委員会

 

高齢者社会の到来を迎えて、だれがどこで、どのように受け止め、継続し確立していくべきか。また、それぞれの行政機能をどのように分担し、連携綜合すべきなのか。いずれも社会教育における重要な課題となっている。福祉的な発想と手段では、単なる受益主義に陥るおそれがある。

わが村は、若年齢層のくびれた逆ひょうたん型の人口構造になっている。冷酷な見方をすれば、若い頭脳とエネルギーの流出であり、希望的な見方をすれば、微動だにしない経験的知識と従来の地域社会のよりよい価値の継承が容易なことである。

幸いにしてわが村の高齢者の実態はまだ家族の要員であり、社会の成員として楽しく忙しい日常生活の中にある。現に、部落自治の区長や機関団体のサブリーダーとして一線で活躍し、孫の保育や農作業の補助を受け持ち、他方自分の趣味に生きる自由もある。無理のない形で生きているその姿に、生きがいのある人生を感じ取ることができる。かつてニューヨークのセントラルパークで見た寡黙な高齢者の大集団に繁栄の国の不びんを感じたことを思い起こす。

しかしながら時代は、いつも混乱と転換の上に立っている。新しいことがすべていいわけではない。ひた走りに走って来た急激な進歩や変化は、むしろ非人間的事象を増幅するばかりであった。闇にホタルがなく、宵のかじかもいない。木に登る子供も、泥に転がる幼児も見られない。

高齢者たちは、奇異と危機を感じていた。やはり信念に生き、使命感に燃えて、発言をしなければならなくなってきた。やがてお祭りが息をふきかえし歴史ブームが起こり、講や民芸品が復活し、無農薬や節約の声が大きくなりお盆の帰省ラッシュの波が打ち寄せてきた。

また、出かせぎの問題がある。高齢者は、防災から家庭教育、管理やら交際に至るまで、間断ない日常生活の流れのまっただなかに立たされる。まだまだ社会的能力や生活技術をみがき続けることが必要なのである。

わが村では、時代や地域の実態と要請を見極めながら、学習の生がい化の素地作りをねらいとして、高齢者教育を重点に実施しているところである。ちなみに今年の千歳学級学習計画を掲げ参考に供したい。

 

千歳学級学習風景

千歳学級学習風景

 

昭和50年度千歳学級学習計画

その他

その他

1.「ちとせ通信」を継続発行

2.高齢者労作展(3月) (伝統的手工芸の展示)

 

 

 


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