教育福島0004号(1975年(S50)08月)-005page

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巻頭言

 

良心の声に聞く

福島県教育庁参事兼義務教育課長 古関富男

ランス、スイス、イギリス、ともに紅葉が最後の美を競っている季節であった。

 

私が欧米六か国の教育事情視察をさせていただいたのは、一昨年の十月半ばから一か月間であった。モスクワでは、うっすらとした雪化粧に驚かされたが、他のヨーロッパでは、ドイツ、フランス、スイス、イギリス、ともに紅葉が最後の美を競っている季節であった。

この美しさとともに、印象に残る一つは、古都の一角のがけ上に廃虚となって残る教会、近代的な都市の中にどっしりと構える大寺院、農村の三角屋根の民家と、木立ちの間に立つとがった塔によってそれとわかる教会等々、人の住む所に必ず見かける教会の姿であった。

そして、視察が進むにつれて、ヨーロッパ文化におけるキリスト教の影響の深さと大きさにいよいよ感じ入るばかりであった。

教育においても、キリスト教がなんらかの形で道徳指導の支柱となっていることが、どの国でもうかがわれた。もっとも、ソ連は別であるが、しかしこの国では、これに代わるマルクス・レーニン主義の思想が、宗教と同じような支柱となっているように見受けられた。つまり、これらの国々では、宗教やこれに代わる一つの思想が、人々に価値判断の基準を与え、同時に実践への意志や心情を育てる根源となっているように思われたのである。

子供たちは、この厳しいおきてとも見られるものによって、幼いころからしつけられ、善悪を判断し行動するように、家庭、学校、社会を通じて一貫して導かれていることが、いっそう強味となっているのである。

もっとも、このような体制で育てられつつあるこれら国々の青少年の行動に問題がないというわけではない。非行化などは、多くの国の共通の悩みのようであったし、キリスト教の国民生活へ入り込んでいる度合いにも濃淡の差があるようであった。しかし、このような支柱の持ち合わせがないと見られるわが国を振り返って、これらの国国に比べて、いっそう指導上の困難性があることを感ぜざるをえなかった。

このことは、帰国してからも私の頭を去らない課題となっている。つまり「神の声に聞く」といったような確固とした支柱が教育上無くてよいものなのか、もし必要とするなら、わが国では、何をもってすればよいのであろうか。結論だけを述べるとまことに唐突となるが、それは必要なことであり、「良心の声に聞く」ということがそれにあたると言えるのではあるまいか。

個人は、それぞれ異なった存在であり、考え方も多様であるが、内なる良心の声に聞く態度によって、共通の規範と実践力を持ち得るのではあるまいか。

良心をどのように育て、また、その声に聞く態度をどのようにして養っていったらよいか、私は、自らの課題として考えたいと思っている。

 

 

 


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