教育福島0004号(1975年(S50)08月)-031page
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友人への手紙から
大柳 真理子
本宮高校へ転勤してきて四か月がたとうとしており、夏休みももうすぐです。転任の話があったときには、だれでもそうだろうと思いますが、三年間親しんだ学校・生徒・その他さまざまなものへの絶ちがたい愛着と、新しく自分を取り囲むことになる未知なものに対する不安とで、とても迷い、考えに考えました。その結果、同じ年代の同じ高校生じゃないか、そんなに違いのあるはずはない。今までどおりにやればいいんだ。そう思ってこちらの学校へ来ました。ところが違うのです。言葉遣い、動作、ふんい気、おまけに顔つきまで違って感じました。私自身も三年前の教員に成り立てのころは、何もわかりませんから、言葉一つしゃべるにも生徒がどんな反応を示すか伺いながら、というぐあいでしたが、今度は三年間の経験がありますから、少しばかり自信を持って生徒と接するのですが、その自信が逆に障害になっているようでどうもスムーズにいきません。といって別な言葉を使えば白けたような感じになるのです。
かなり前に読んだ新聞に、女の先生の言葉が悪いというある母親の投書が載っていましたが、生徒と話をする場合には、彼らと同じ言葉使いをしたほうがうまく会話も進むし、また、男子の生徒にとっては、授業もそのほうが聞きやすいようでした。三年もたつと意識せずに、棚倉の方言で語せるまでになっていました。そして、こちらに来てもそんな言葉遣いが自然に口から出てくるし、そのほうが生徒とも早く親しめるんじゃないかと思っていましたのに、なんということでしょう。
ある日、生徒たちが私の言葉が悪いというような話をしてるではありませんか。内心ギョッとしました。もっとはっきり言えば、かなりショックでした。前の学校との比較は口にするなという忠告を思い浮かべながらも、同じ県内の高校生であるのに、いろんな面で違いがあるのには、驚かずにはおれませんでした。生徒たちに慣れずにいることを一か月ほど前Sさんに会って話したところ、「なに言ってるの、私は一年かかったのよ。あなたはまだ三か月じゃない」と言われ、その言葉にだいぶ慰められました。相手は九百人もいるのですから、焦らないことにしました。
転勤してきてすぐ、私は、全然畑違いの卓球部を任せられました。高校時代にクラブに入って少しでも経験していれば、生徒といっしょに練習もでき技術的な指導もできるのでしょうが、大学二年のとき体育の授業で半年ほどやっただけですから、何もできずどうしょうかと戸惑いました。
初めて、生徒を引率していった試合では、点が入る度に、リズムをとった拍手と「ヨシ」という声が沸き起こるのに目を丸くしているようなほんとうの素人です。ペンもシェークもよくわからず、ただ生徒の練習をじっと眺めているだけでしたが、見慣れてくるにつれ、上手な生徒のフォームと比べたり、本を読んだりなどして、あの子はあそこが悪いようだとほんの少しですがわかるようになってきました。実際は生徒のほうがよく知っており、今までのやり方も尊重しようと思うと、つい遠慮してしまいますが、やはり生徒は生徒です。私のような者でも、教師のほうから積極的に出ていくのを望んでいるようです。(前にも、生徒からそんなことを言われたことがあります)それで、ほんのちょっとしたことでも気がついたことはどんどんアドバイスするようにしています。それが全く見当違いだったこともありますが、私にとってはとてもよい勉強ですし、生徒もそこで考えたり工夫したりすることにより、それをプラスの方向に持っていくこともできると思うのです。
今度の県総体の予選では、一年生がとてもがんばり、私も初めて勝つ気分を味わいました。生徒が努力して得た勝利の喜びを、自分で得たように感じるなんて、ズウズウしい気もしますがこれでようやく顧問らしくなれたなと思いました。自分には勤まりそうもないから、一年で降りようと考えていましたけれど、生徒の勝ってうれしそうにしている顔を一度見ただけで、もっと強くなるように、彼らと後何年かいっしょにやってみょうなどと、虫のいいことを考えたりしています。
(県立本宮高校教諭)
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