教育福島0004号(1975年(S50)08月)-032page
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教育随想
ふれあい
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Nとの日々の記録抄
桃谷 アサ
不惑の年を迎えても、なんと教育の道は遠く険しいことか−−教師以上に生徒たちにとっても多難な、まさに教育戦争時代に変わってきている昨今かと思い惑う日々でもある。
N、彼はあたかもこの時代から取り残されたかのように、入学以来堅く口を閉ざしたきり先生がたとは話さなかった。毎日、毎時間身じろぎもせず、じっとがまんしつづけ時折書きつけるノートには、彼の現在と過去の生活がこんとんと入り混じって、にじみ出ていた。「中央手術室」「国見農協給油所」「SUNNY」「HONDA」等々。
そのNが−なんとなく近寄ってきて話し始めたのである。ここ県境の里、厚樫山のすそ野の台地に桜が満開の四月十九日土曜日のことである。教室を離れグランドの片すみにある山長公園で、三三五五弁当を開く生徒たちの表情は明るく楽しげであった。話もいろいろとはずんでいた。Nもしきりになにか言い合っていた。そのうち「耕うん機運転できる」「耕うん機で蔵の壁さぶつつかった」−と。半ばあきらめていたことが突然起こって、私はただうれしかった。以前エンピツ会話をしたことがあるだけで、会話らしい会話を交わしたのは初めてだった。しかし一歩間違えば、けがや火災等にもつながる問題行動がいくつも転がっていたことにも驚いた。黙っておとなしくしているNのような生徒たちの内に秘められた別な面を掘り出すことがいかに大切かを思い知らされた。
〇四月二十一日(月)
「私の夢」を書いて提出したのでビックリした。作文というよりは心の詩叫びと言ったほうがぴったりかもしれないものだった。
耕うん機に乗りたい
耕うん機に乗って田をうなってみたい
自動車に乗ってみたい
バイクに乗ってみたい
もっと勉強して
うまく運転してみたい
放課後寸評を添えて掲示。十分間対話を始めた。できる限り続けたい。
〇四月二十三日(水)
作文を朗読して他生徒の感想を記録発表させる。Nのいちずな気持ちに一同、心打たれるものがあった。後で「恥ずかしがったい」ともらしたNのうれしそうな、てれくさそうな姿が忘れられない。Nのまともな心に出合った感じがした。
よろず帳に記名、一時間にせめて半ページだけでも勉強するよう記す。
〇四月二十六日(土)
胃の調子が悪いのを気にしている。「こご胃袋?痛んだ。水おどしだべが」と押さえて聞く。理科の消化器官の学習は一ぺージにわたっていた。一つ進歩。
〇五月七日(水)
花壇の草木の植えかえを整美部員とする。Nもその一人。周りで突っ立っていたが言われてちょっとだけうなった。しばらくぶりのことで、電話の話をする。私の電話番号を教え、七時に電話でお話をする約束をした。ところが、四時三十五分に掛けてよこしたらしい。その後二、三回沈黙電話がありわが家では何事かと怪しんでいた。約束の七時にはおとさたなし。こちらから電話を入れるとばあちゃんが出る。内弁慶で、だれの言うことも聞かず、口を余し、いたずら、大さわぎのしほうだい、ほとほと手を焼いている様子。学校などでのうっぷんを晴らしているのだろうか。仕事だけはみっちりさせたいと話し合う。
〇六月九日(月)
給食当番でおぜん洗いを一人でやっていたので、思わず「えらいっ」と肩をたたいたらニッコりした。
その後も日々次々と事件は絶えないが、清掃は黙々とやるようになり、ノートも前より書くようだ。折節の面談はとだえがちだが、話の内容も少し向上し、他の先生がたにも一言二言答え始めている。
今、期末テストのNの答案に
6a+9a=15aを発見。翌日、喜びを伝え、肩をたたいて励ます。
堅く口を閉ざしたNの、こうした必死の自己発見の足跡を見るにつけわたしは、Nのためにできるだけ支えになってやらなければと思う。たとえそれが遠く険しい道であっても、ささやかな努力であったとしても−−
(伊達郡国見町立県北中学校教諭)
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