教育福島0005号(1975年(S50)09月)-005page

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巻頭言

 

訓育の復活

福島県教育センター所長 高橋 幸一

各企業でも、明年春は採用中止か、人数を減らすところがたいそう多いという。

 

一流企業と言われた「興人」が、多額の負債をかかえて倒産した。戦後最大の規模だという。倒れるには、それなりの理由があったにしても、現在の不況の深刻さを、思い知らされた感じである。八月末には、本県公立学校の教員採用試験が行われたが、空前の受験者数であった。各企業でも、明年春は採用中止か、人数を減らすところがたいそう多いという。

ところで、新聞雑誌等によると、今年になって、各大学では学生はよく勉強するようになったという。出席率もよくなり、教授に対する態度も、実に礼儀正しくなったとのことである。これについて、毎日新聞のコラム氏は、「昔は衣食足りて礼節を知る」と言ったが、今は、衣食が足りなくなりそうになって、はじめて礼節を知るということか、と皮肉っていた。

先日、教育センターで、小・中学校の女子教員研修会が行われた。そのとき、講師としておいでになった、東京のある女子大の女の先生から聞いた話である。教授や学生多数が通り歩く廊下にあるソファーに、一人の学生が(もちろん女子学生)、長々と寝そべったまま、たばこをふかしていたのを見て、その先生は、余りの姿にたまりかねて注意したという。ところが、その学生はそのとき、「これと先生の講義と何の関係がありますか」と言ったので、「大いにあります。あなたのような人に、将来教師になられたら、国家社会にとって大変なことになるから、あなたには教職の単位はあげられません」と言ったら、翌日謝りに来たという。

また、ある校長は、校地に雑草が生えたので、草取りをしょうと言ったところ、一人の若い教師は、それは教師の本務ではないから拒否する、と言われたという。

一体、なぜこういうことになったのであろうか。種々理由が考えられるであろうが、戦後における教育に、「何か」が欠けていたのではないだろうか。戦前の修身教育や、戦後の道徳教育に反対するあまり、社会生活における基本的ルールである「しつけ」「マナー」を教えることが、余りにもおろそかにされた結果ではないだろうか。家庭教育学校教育における「しつけ」の教育の復活が、なによりも急務に思える。

世の心ある多くの親たちは、学校及び教師の、余りにも物わかりのよすぎることに対し、子供たちへの甘い顔、ゴマスリはもう結構だと叫んでいる。学習塾ブームも、受験体制教育だけが原因ではないような気がするのである。

「教師は専門職である」と日教組も、文部省も言っている。しかし専門職とは、自分がそうであると規定すべきものではなく、周囲の者が、社会がそうであると認めることによって成り立つものであろう。学校が子供への厳しい「訓育」を返上しようという姿勢が続く限り、社会は教師を永久に専門職とは認めないであろう。

 

 

 


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