教育福島0006号(1975年(S50)10月)-031page
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教育随想
ふれあい
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Sの掛け声
遠藤 静江
担任して四年。四年から五年になるとき、組み替えをしたが、また同じクラスになったS。
Sは小児ぜんそくで、学校を休むことも度々であった。季節の移り変わりには、必ずといってよいほど発作を起こし、顔色も悪く、気の毒であった。
学習のほうも、三年生のころは、さほど苦労せずついてこられた。しかし一日登校しては数日休む。数日たって登校したSの顔を見て、もう大丈夫だろうと思っていると、突然欠席の知らせがある。このような状態で高学年になった今、なかなか追いつかせるのに苦労する。体が弱いということで、両親も私も、きつくしかることもできないまま悩んでいた。
人なつこく、休み時間に手品をやって見せたりして、みんなを笑わせているSを眺めながら私は、どうか素直な気持ちを持ち続け、強い子になってくれと、心の中で祈るのだった。
夏休みをあと数日に控えたある旧、小学校生活最後の思い出として、雄国沼ヘハイキングをしよう、という話が持ち上がった。夏休みの一日を、親子で楽しむ行事に、私も心から賛成した。次の日、子供たちにそれを話すと、子供たちは、
「山登りだから、修学旅行のときより食べものをいっぱい持っていこう」
「帽子は、登山帽がいいな」
と、もう目を輝かせている。しかし、子供の喜びを見ながら、私自身、登れるかなと心配になってきた。
恥ずかしいことながら、登山の経験が一度もない私であったからだ。それから数日たち、いよいよハイキングの朝を迎えた。
さわやかな校庭は、次々と登山姿の父母と子供たちが集ってきてにぎやかになった。Sもジーパンをはき、首に手ぬぐいを巻き、母と並んで立っていた。
二、三日前まで発作を起こし、出席できるかどうか心配していたのが、うそのように見えるほど晴れ晴れした顔をしていた。
猫魔岳の細いささやぶの一本道に長い列が続く。山を一つ越して、次の山の頂上にたどりつく度に、子供たちの歓声がこだまする。前の方を見ると、男の子たちは、もう最後の山を登っている。
かなり急だ。吐く息も荒くなってくる。掛け声をかげながら峯を登りつめほっとした一瞬、立ちすくんでしまった。目の前の道はふさがれ、綱一本だけがぶらさがっているだけである。
「一人ずつ、綱をしっかりにぎって登ろう」と登り始める。すると
「みんな、大丈夫だよ。先生が登ったんだから」元気なO子の声に、みんなの顔がほころんだ。
綱にっかまって登り、しばらく歩くと、青々とした雄国沼が見えてきた。
とうとうたどり着いた。
冷たい風に吹かれながら、おにぎりをむさぼり食った。
帰路についたときだった。来た道をもう一度…と思うだけで自信がなかった。ささの葉の間を通り抜け、顔を上げただけでもう足が進まない。「先生、もうだめだ。休もう」と草むらに腰を降ろす子。
そのとき、私の手に太い枯れ枝が一本差し出された。Sである。そして、ぐいぐい手を引いてくれる。あの弱々しいSのどこに、こんな力が隠されていたのだろう。
「おれ、四年間心配ばかりかけていたからな」とボツボツ独り言を言いながら。Sを心配して追いかけて来た母親に、
「母ちゃん、大丈夫かい」と、空いているほうの手を差し出す。
心配して付き添った母親だったが、反対に励まされ、うれしさを隠しきれないようだった。
素直な子、強い子になって欲しいと願っていただけに、谷川を流れる清水のような美しい心を発見した日であった。
また、Sの掛け声で、初めての登山をすばらしい思い出の一つにした一日でもあった。
(河沼郡河東村立河東第一小学校教諭)
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