教育福島0006号(1975年(S50)10月)-033page

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教育随想

ふれあい

 

教職覚え書き

 

教職覚え書き

根本 歌子

 

既に教職歴九年。

新任地に、心身に障害を持つ子供に対する教育の場を求めた私は、いったい何を学ぼうとしたのでしょうか。

 

「チェツ」

転校してきた好ちゃんの第一声口で言うだけじゃない。

ふてくされて廊下に座り込む。

 

「孝ちゃん! 机、どこ?」

得意になって、あっちこっち、的はずれの案内をしてくれる。

教師が気をもむ机さがしの一こま。

 

「なみちゃん!」

呼べど答えず、じっとうつむく。

その強情なこと。

 

「やーい、自分とこ“ぼく”だってさ。ぼくは、“孝ちゃん”というんだ」と言い張る。

説明できずに黙りこくる弘ちゃん。

 

「先生……さようなら!」

なみちゃんの声。そっと手を出す。そして、しばらく黙ったままで……そのまま教室を出て行った。あの握った手の柔らかくて暖かいこと。

思ったことをすらすら言葉に出せることは、なんと幸いなことか。

以上は、児童の行為を既成の概念で見ようとすることに凝り固まっている私にとって、子供の身になって物を見聞き、考え、行動に移すことの難しさを、つくづくと思い知らされた当時の「特殊教育駆け出しの記」の一部である。

彼らは既にこのころから、人間が人間を見る目は心であるという事実と、彼らと接する人の心の持ち方によっては、同じことでも彼らの事実の捕え方が微妙に変わってくるものであることを教えてくれた。

後で分かったことであるが、転校してきた好ちゃんには、彼なりの希望があったし、迎えてくれた教室にささやかな期待をかけていたのである。「特殊学級だからだろう」というような、大人たちの極めて常識的な言葉がどれほど彼の心を傷つけたことか、だれも気づいちゃいない。このことは、子供の本来の姿をみつめる目を失っていたために犯した大きな過ちである、としたら、言いすぎだろうか。

私は子供とのつきあいで学んだ。

人間の本能が、そのとき、そのときの刺激にまともに応じて赤裸々に働くことを−−「かけひき」を知らない真の子供の姿を。また、この子供たちとのつきあいで得ることはすべて、自分が子供から学べるものであることを。

「子供とともに学び、育つ」ということは、このようなところにあるのではないだろうかと。

以下、このとき以来の心情を記してみよう。

《特殊》教育……人生多くを望まず”堅実で平凡な真理を追求することにあり”。児童になすべき視点を定めることもできないままに、この道の困難や心労に耐えかねて逃げ出したくなるような”貧しい心”がいたずらにはやり、たまらなかった某年の初春。

だが−−だれかがやらねばならない。彼らとともに歩むことを−−どの子供たちに対しても可能性を信じ、彼らの目に見えないものを求めて、ひたすらこの道を歩むことを−−

特別な使命感に燃えた教師としてではなく、子供の本当の幸福を考え、幸せな将来を考えるごくありふれた人間として、ようやくここに立ち止まることができるに至った。

そしてかつて、「師の道を歩む者ならば、一度は心身に障害を持つ児の教育を経験すべし」と、これを説き、この道を開いてくださった恩師からも多くのことを学んでいたことに気づく。

この道を歩んで八年余。とりわけ一人、一人の子供の生命をいとおしく尊く感じるこのごろである。子供を見つめる目を確かなものに、そして深いものにするために、今日も求めて、求めて追い続けている。この教育にたずさわる者のみが知り、喜びをかみしめながら……

(福島市立福島養護学校教諭)

 

 

 


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