教育福島0007号(1975年(S50)11月)-008page
地域の文化的格差、開催必要経費の負担などについて話をつめていったが、集まる度に、事業推進の困難性やいろいろな悲観的状況が出て、一時は開催返上の声も出たほどであった。
しかし、各市関係者とも、優れた芸術を一人でも多く県民に、低料金で紹介し、心を高めるために、多くの困難性を克服して、最大の努力をして遂行しようと申し合わせ、実施に踏み切ったのである。
本事業は、文化庁が本邦一流の舞台芸術を育成振興して国民に広く紹介、鑑賞させるため、公演団体に出演料の一部を負担して依頼し、各県に派遣するもので、開催経費を更に県や市が負担するため、一般興行の半額程度以下の低料金で鑑賞できるものである。これら「派遣公演」とともに、国の芸術祭を東北に移動しての催しであることから、開催ブロックの「地元公演」もこれに参加して公演することになっており、今回は北海道・東北ブロック民俗芸能大会が開催された。
五十年度早々から、県も市も、機会あるごとに広報に努めたが、七月に入ってようやく県民の話題となり、秋に大々的な舞台公演のあることが一般に周知され、ふんい気は徐々に盛り上がってきた。
テレビ、ラジオ、新聞による広報とともに、開催市の実行委員会(文化団体と教育委員会関係者)や県文化センター職員等の汗と足による宣伝や入場券販売は大きな力となった。移動芸術祭公演のポスターに見入る市民の姿も多くなり、九月から十一月までの三か月間に催される十一の公演の選択が話題となった。
特に、九月早々に行われた郡山市の読売日本交響楽団演奏会は、昨年、既に同じ形で公演しており、開催日の前後に更に大型の催し物があったため関係者の一部から、開催反対の声も出たのであるが、音楽都市の大郡山にはまだ余力があるとの判断から、実行委員の全面的な努力で、ほぼ満席の入場を見たのである。皮切り行事であったことと、悪条件を乗り越えての成功であっただけに、関係者の喜びは大きく今後の公演に明るい見通しを持たせるのに十分であった。
公演内容が優れていたことはもちろんであったが、本事業を推進された開催市の文化団体関係者や教育委員会事務局職員のかたがたの努力により、準備、公演が円滑に行われ、予想を上回る多数の県民の参加を得て、多大の感銘を残して成功りに本事業を終了することができたことは、まことに喜ばししいことであった。今後も、これを契機に、各市が独自に市民が望む芸術鑑賞の機会を作り、市民生活の不況や暗さを払しょくして明るい市民文化の形成を図るよう期待したい。
一、交響楽公演
○期日 九月二日(日)一八・三〇〜
○会場 郡山市民会館
○演奏・指揮 飯守 泰次郎
バイオリン独奏
佐藤 陽子
オーケストラ演奏
読売日本交響楽団
○演奏曲目
1 セビリアの理髪師 序曲
ロッシーニ
2 バイオリン協奏曲
メンデルスゾーン
3 交響曲第一番 ブラームス
○入場者数 約千八百名
○感想
郡山市民会館は、本県では初めての本格的な文化施設として昭和三十三年度に設置されたが、施設設備が老朽化したため、施設の改装工事と最新式の音響設備や照明設備等を備えた会館に生まれ変わったのである。この新装なった会館での使い初めとして、本邦一流の読売日本交響楽団を迎えての演奏会は、まさに新装記念行事として格好のものとなって郡山市の音楽ファンから大好評を博した。
読売日本交響楽団は、我が国のオーケストラでは、全員が男性ばかりという唯一のオーケストラでユニークな存在となっていることは、周知の人も多いが、今回の演奏会では、二曲目に演奏されたバイオリン協奏曲の独奏者佐藤陽子が特に注目を集めた。
佐藤陽子は、福島市生まれということで親近感を覚えたことと、表現力豊かなバイオリンの音そのものに定評があり、我が国の若い世代の演奏家の中でも出色のものとして常に高く評価されていただけに、彼女の熱演には盛んな拍手がおしみなく贈られ演奏会のムードが最高潮に盛り上がった。
聴衆の中には、福島、白河あるいはいわき市という遠隔地からもかけつけた人もいた。今回の移動芸術祭公演が、テレビスポット、ラジオス
読売日本交響楽団演奏会