教育福島0007号(1975年(S50)11月)-015page
舞は、「榊舞」「弓舞」「太刀舞」の三種を復活したが、今回は舞台公開に伴う時間制約のため、後者の二種は、舞台上の進み方を特に略式で演じてもらった。いずれの舞も、本来は四方順逆に舞い、採物はそれぞれ、榊・弓と矢・太刀であり、一般の巫女舞よりむしろ古い舞楽の系統を引くものではないかと言われる。巫女は各四人で、六〜十二歳くらいの女児が当たる。
磐梯神社は徳一大師が開いた名殺恵日寺の境内にあり、恵日寺創建のときからその守護神として祭られ、明治初年の神仏分離によって神社として独立した。この巫女舞は約二百六十年前の正徳年間には既に伝承されていたが、明治三十年代以後中断してしまい、昨年になって唯一の伝承者である当年八十七歳の瀬田ウノ氏の記憶と関係者の努力により、全国的にみても異例の復活を見たものである。
舞そのものも、県内にはまったく他に類例を見ない古風な巫女舞である。
二、古風さと華やかさとを合せ持つ田植踊り
大久保の田植踊
大久保田植踊保存会
相馬郡飯舘村飯樋字大久保に伝承される田植踊りで、旧暦の正月十三・十四・十五日の三日間に村の鎮守と寺院村長・区長宅で踊ったのち、部落内の各戸ごとで踊り祝う。
踊りは男性による道化と女性による早乙女、それに奴と雀追いも加わり、稲作の年間作業を十種に踊り分けている。奴や早乙女の衣装はことのほか豪華で、早乙女は踊りによって、扇子、ささら、綾竹を持ちかえる。
鷹子は小太鼓に笛で、鳴鉦は道化のフクベ軍配に取り付ける。
阿武隈山中の飯舘村では、かつては十八部落でも田植踊りが見られた。しかし、戦中から戦後にかけて全く姿を消したが、ここ二、三年の間に青年会などを中心とする復活への努力が盛り上がり、県の民俗芸能のふるさとに指定されたこともあって、指定一年目には八部落の田植踊りが復活し、三部落が復活準備中である。
大久保の田植踊りは、昭和二十四年を最後に中断していたが、昭和四十九年に復活された。
飯舘村の田植踊りは、それぞれ独自の特色を持つが、いずれも古風な県北地方の田植踊りと、芸能化して華やかになった浜通り地方のものとの中間的な形態を持ち、学術的にも貴重なものである。
大久保の田植踊り
三、安達地方の代表的な太々神楽
白岩の太々神楽
浮島神社太々神楽楽人会
安達郡白沢村白岩に伝承され、同地の浮島神社神楽殿で四月十五日、十一月三日の春秋の祭礼に、また本宮町の安達太良神社神楽殿で五月一日の春の祭礼に奉納される。
主として、古事記や日本書紀などに伝わる神話を灘子につれて演ずる出雲流神楽を、県内では「太々神楽」とか「十二神楽」と言い、田村郡、郡山市安達郡が本場で、この地域には多く伝えられている。この白岩の太々神楽は安達郡内でも代表的なものの一つで、明治の初め同村長尾の神官小松左膳から習い受けたものと言い、かつては三十五座あったが、今は二十五座を伝えている。
今回は、倭姫が神鏡と白杖を持ち、天冠と面をつけ、緋袴・裡・石帯を着て、静かに、しかも美しく舞う「神鏡楽」と、太力男命が岩戸を開く「岩戸楽」の二座がひろうされた。
神鏡楽の鷹子は、笛、太鼓による大和拍子であり、岩戸楽は、思兼命、天児屋根命、天太王命、太力男命、天宇豆女命が登場し、笛、太鼓は下り羽、燈明鷹子、五神鷹子、乱声(調)による。
白岩の太々神楽