教育福島0007号(1975年(S50)11月)-017page

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六、華やかに飾った歌え長持行列

 

下湯長谷の長持行列

長持唄保存会

 

いわき市常磐下湯長谷に伝えられる道中長持歌で、毎年五月五日に関船の諏訪神社に奉納される。いわき市では鎮守の祭礼に大変華やかに飾った長持行列がよく見られ、中でもこの下湯長谷のものが最も有名である。

行列は、峠に陣笠、陣羽織をつけ、腰に大小の刀を差した家老が先頭に立ち、提燈を持った付添人が従う。続いて揃い模様の浴衣に鉢巻、たすきがけに手っ甲をつけ、白足袋、草覆ばきの若衆十二、三人が、先行の歌い手の歌に合わせて、手拍子、足拍子よろしく踊りながら練り歩く。その際、やなぎ樽をつけ、長持を琉球ゴザで包み、荒縄を七・五・三にかけ、それに祝の幣束や末広を立て、それに長い横木を通してかつぐ。

ここで歌われる歌は、元来旧藩主の内藤公が参勤交代で江戸にのぼるときお供をした長持かつぎが歌ったものと言い、特有の歌詞も伝えられているが祝い歌の転用もあり、即興で歌うこともある。

長持の飾りつけや歌は、明治維新以後、祭りにつくようになってから、今日のように華やかになったものと思われる。

 

七、形態的に古い姿を伝える三匹獅子舞

 

絹谷の獅子舞

絹谷獅子舞保存会

 

いわき市平の絹谷に所在する三匹獅子舞で、戦前は七月二十七、八日に実施していたが、その後村内統一で十月一日に行われ、更に最近は青年団員の都合で九月の最終日躍日に絹谷諏訪神社境内で奉納されている。

いわき市は県内でも特に三匹獅子舞の多いところで、約六十か所もあり、いずれも古い姿をよく残していて、しかも武術の一種である棒術がつくのが特色である。

この獅子舞もいわき地方を代表するものの一つで、雄獅子、中獅子と雌獅子の三匹からなり、舞は「花吸い」「狂い」「弓」の三種目がある。花吸いの場合には一・二の棒と称し、獅子舞の前に棒使いを行い、狂いの場合には三・四、弓の場合には五・六の棒使いを行う。そば役にとうろくが二、三人出て奇妙ないでたちで人を笑わせながら、獅子舞の指導に当たる。

伝来については不明であるが、舞庭には「花籠」がっき、「弓」の舞もあることなどから、県内の獅子舞の中では形態的に古い部類に属する。

戦後しばらく中断していたが、昨年二十年ぶりに復活された。

 

民俗音楽の収集事業と音楽教育について

 

近年、民謡や民俗芸能などが見直されるようになり、義務教育はもとより高校の指導要領も改訂されて、音楽教育でも日本の民謡や民俗芸能などの民俗音楽を取り上げるように義務づけられた。音楽はその国の歴史や風土を基盤として庶民の中から生まれたものであるから、自国の伝統音楽を主柱に置くことはしごくあたりまえである。しかし明治初期における文明開化のショックから抜け切れないかのように、教育制度の改革は幾度かあったにもかかわらず、音楽教育が洋楽中心であって、その本質的な改革はごく近年までまったくといってもよいほどになされなかった。思えばなんとも不思議なことであった。識者によると、少なくとも世界の先進国で、自国の伝統音楽を音楽教育の中心としていないのは、日本と韓国ぐらいであろうと言う。

ところで過去の日本の音楽教育が洋楽一辺倒であったのには、それなりのいくつかの理由はあったし、また洋楽を取り入れたことの利点も指摘はできる。しかし、音楽は自国の伝統音楽を幹とし、諸外国のさまざまな音楽はその枝葉としていくのが本来の姿であることは、もはや論をまたない。日本の教育界もようやくそれに気づき、研究に着手した。

ところが伝統音楽を取り入れるについては幾多の難問に突き当たった。記譜の問題、発声の方法、理論的体系化の不足などである。しかし、音楽は身近かな、足元からという原則を振り返ったとき、このような大きな問題以前の、教材とすべき郷土のわらべ歌や民謡の収集とその研究さえ実に不十分であったのである。

福島県合唱連盟は、その仕事の重要性と責仕を考え、県当局に調査費の予算化を陳情するとともに、昭和四十六年夏に、とりあえず独自の予算で、わらべ歌と民謡の伝承者の所在調査を実

 

 

 


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