教育福島0007号(1975年(S50)11月)-026page

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教育随想

ふれあい

 

ある学長の話

 

ある学長の話

三浦 賢一

 

芙蓉の花も秋を告げようというのにいつになくきびしい残暑が続くある日私は近代的なキャンパスの中にある古びた木造の建物を目指して歩いた。それは学長に会うためであった。

「管理とうを一番先に建てる大学もありますが、ここの研究第一主義の伝統は今も残っており、大学本部は最後になりますよ」と誇らしげに語られた。そこは古色そうぜん、これが学長室かと一瞬戸惑うほどで、椅子のカバーの白さが印象的であった。

「来年から、大学で私が一番年長になるのですよ」と退官される二、三の教授の名をあげて惜しまれた後、「私は小学校、中学校、高校、大学とお世話になった先生を、毎年夫婦でお訪ねすることを楽しみにしています。先日は中学時代に数学の指導を受けたK先生を訪問しました。玄関を開けてあいさつすると盲目になられた先生は、奥様に手を引かれて出てこられ『加藤か、加藤か』と頭から顔、肩と手でさすって喜んでくださった。そして持参していった先生の好物のお酒で杯を重ねてきました」と身ぶり手ぶりで語られる様子に、私はある感動を覚えた。

 

また先年、大学時代の恩師であるH先生を浅虫にお迎えし喜寿の祝いをなされた折、つりの好きなH先生が必ず漁に出られることを知っていたので、学長は前日に土地の漁師に頼んで、つり場の岩に「H先生大歓迎陸奥湾魚族一同」と書いた布を張っておいたとのこと。先生は翌日つりに行き、その下を通られて大変感激され、その布を持ち帰り、今でも鎌倉の自宅の書斉に飾っておられるという話もうかがった。ユーモアあふれるやさしい心づかい、私などは、たとえ思いついてもためらい、後で悔やむことが多い。思っただけでは善意は通じないことを教えられたような気がした。

 

「小学校時代の同級会には欠かさず出ることにしています。ありがたいことで、この服は同級生の洋服屋が作ってくれたものだし、私の家の畳替えも同級生がしてくれました。お前は学者で世間のことは知らないのだから、おれらにまかせておけといってくれるのです」と笑っておられた。

 

ふと見ると、窓際の棚にいくつかの賞状と盾が飾られてあった。これは先ごろ行われた全日本学生漕艇選手権のエイトが優勝したときのもので、仙台に帰るや、学生たちはまっすぐ学長に見せたいと言って置いていったものだそうだ。「応援に行けなかったので激励の電報を打っておいたのです。モントリオールも夢でないですよ」と語られた。ともすると学長と学生は、対立したものとして図式化される今日、たとえ一部の運動選手とはいえ、このように学長との人間的交流があることをうらやましく思った。

学長は常々、学生に何を望むかと問われたとき、「もっと先生のところに遊びに行くように」と言われているそうだ。

私は学問の深さだけでなく、人間的深さにいつしか心ひかれ、ゆったりとした語り口で続けられる滋味あふれる話に満ち足りた思いで、「自然と人生」という文化祭の記念講演の演題を頂いて大学を後にした。

 

十月三日、今日人間にとって大切なことは何か、ということを原点から解き起こされた講演が、若い生徒たちに深い感銘を与えたことは言うまでもない。

「自然之攝理妙」と校長室に残された色紙を鑑賞しながら、静かに動物生態学者である東北大学学長加藤陸奥雄先生をしのぶこのごろである。

(県立福島高等学校教諭)

 

 

 

 

 


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