教育福島0007号(1975年(S50)11月)-031page
教育随想
ふれあい
言葉によるふれあい
渡辺和子
四月、新任校で私を待っていたのは二十六名の一年二組の児童だった。
着任式、続いて入学式も無事にすみ来賓のかたの退場となると、会場がざわめき始めた。それはなんと、「バイバイ」と言って、来賓のかたに手を振っている新入生。来賓のかたも緊張したふんい気が笑顔に変わっての退場であった。
私は、あっ現代っ子だと感じるとともに、そこに、言葉による触れ合いの姿を見た。
こうして、私と子供との出会いがあり、日数を重ねるに従って、多くの障害が感じられたが、どうしょうと突きつめてみても、本校での生活の浅い私には、解決の原因すら探られなかった。
でも、話し合うこと、言葉を交わすことによって、暖かい人間関係を育てようという私の考えは変わらなかった。
児童観察を通して知った自己表現の障害となっている話し言葉、思いやりの心を育てる会話などから実例を選び折あるごとにその意味と使う場を教えた。「はい」という言葉は、自分の名前を呼ばれたときに、また、自分が納得したり、了承したりしたときの言葉であることを、生活の中で指導してきた。以後、呼名の練習のときだけでなく、生活の中でも返事ができるようになってきた。
クラスの中にSという男の子がいた。とても人なつっこく、私にも話しかけ一見素直そうであるが、下校時にわんぱくをして友達を困らせ、悪い子供という目で見られていた。事あるごとに呼んで、両手を握って、その訳を聞きしてはいけないことを説得しても、全く口をつぐんで抵抗しておった。
「してはいけないよ」
「『はい』と言ってごらん」と、つい強要してしまった。
「はいと元気よく言う 心がさっぱりして、悪いことを ないよい子になるんだよ」
「これからしないね」
と、再度念を押したら、うなずいて、「はい」という返事が返ってきた。私は、うれしかった。
それ以来、その子には、まだ多少の問題行為はあったが「はい」という返事もでき、素直な子に変わってきている。
また、あるときには、
「先生、私、スプーンないの」
と言い出した子供がいた。まだ学校に慣れない子にとっては、どうすればよいのか分からない。すると、K子が食事をやめて、
「私、持ってきてあげる」
と言って出て行った。スプーンを持ってきて渡したが、何の言葉も返ってこなかった。私は、さりげなく、
「K子さんは、食事をやめて、あなたのために行ってきてくれたのよ。なんといえばいいの」
と言うと、T子もすぐに、
「どうもありがとう」
という言葉を発した。K子も、その言葉によって自分のとった行為を意識しうれしかったと思う。
また、私は、鼓笛指導で高学年児童と接することがある。運動会や、県民の森での「森を育てよう」県大会出場のために、鼓笛隊の練習を通して児童との語らいの機会が多い。そんなときにも、言葉による児童との触れ合いを大切にしたいと思って努力している。
本校に勤務し、先生がたの教育活動の中に暖かい児童との触れ合いの姿を見ることが多い。広域学区のため、山路を帰る子への心づかい。土曜日の子供会単位によるいっせい下校時の安全指導、班長の後について小さい体で五キロ、七キロと帰る児童に、「負けないで歩くのよ」と見送る励ましの言葉。
また、意義のある行事だと思ったことは、全校生による秋の芋煮会である。子供会単位による活動で、上級生と下級生との触れ合い。そして子供と担当教師との触れ合い。私もその一員として初参加した。
子供との触れ合いを大切にする本校教育活動の精神を知り、生活に支柱を得た感じがした。
これからも、本校の実態に対する理解を深めつつ一層励みたいと思っている。
○秋日暮れ 山路を帰る 子をせかす
○芋煮会 薪をもとめ 走る子ら
○芋煮会 いただきますの 満ちた声
(安達郡大玉村立玉井小学校教諭)