教育福島0007号(1975年(S50)11月)-033page
わが町の生がい教育
教育随想
ふれあい
子供に学ぶ
佐藤磐雄
〈T夫〉
国語の教科書を読む。たどたどしい。六年生でありながら、一字一語たどっていく。漢字が出てくると、ハタと口をつぐむ。書いた文字は、ミミズがはっているようで、書いた本人さえ読めそうもない。話すことになると、おどおどしてしまい、はっきりしない。
しかし、休み時間になると、いちもくさんに校庭へ。目は、生き生きとし顔は汗、汗、汗……。教室でじっと座っている苦痛は、大変なものだろう。
このT夫は、四年生から持ち上がっているが、今日まで、登校してくるのがいちばん早い。すぐ、窓を開けるのが、彼の毎朝の仕事で、決して忘れたことがない。春夏秋、そして冬も、よほどの悪天候でない限り、毎朝きちんと窓が開いているのである。今までに一度も、このことについてほめたことはない。彼より遅れて登校してくる級友も、彼の仕事に特に注目するものもいない。それでも、朝は、必ず彼が窓を開けておいてくれるのである。
〈T子〉
ある日の下校時、横断用の黄色の小旗立てが、道路わきの田の中に横倒しになっていた。道路より少し低いところで、通行の際には、ほとんど気づかれない。横断小旗が、そこにあったなどということも、だれ一人記憶しているものもいなかった。
T子は、これを見つけた。小旗立ての底には、かなりの泥が積もっていた。彼女は、これを起こし、素手で泥を払いのけ、道路に引き上げ、かつてそれがそこに備えつけられていたように道路の端にもどした。
たまたま通りかかった教師が、この一切を見ていた。後でおほめの言葉をちょうだいしたらしい。しかし、彼女はなんのことでほめられているのかさっぱり分からないという様子で、キョトンとしていた。
「当たり前のことを、当たり前にしただけなのに」という彼女の言葉。
耳が少し遠くて、授業中の反応も鈍い。理解が遅くて成績はパッとしない子である。
〈S男〉
恵まれた家庭環境。両親の学歴も高く、成績は抜群である。次男坊で親はそれほど手をかけていないようで、やや放任ぎみ。
往々にして、こんなタイプの子供は授業中に態度を崩したり、理屈を振りかざし教師に食い付いたりすることがあり、扱いにくいものである。
しかし、S男には、こんな心配は、当てはまらない。当然、教科書の内容などは、理解し切っている。得意な理科では、こつこつ自分で材料を集めて実験を済ませ、結果の考察も済んでいる。それにもかかわらず、授業では、常に、そんなそぶりなどは全く見られず、発問や指示に本気に取り組み、ひとことひとこと、目を光らせながら、うなずいて、学習を進めているのである。
カーテンの扱いが、鉄筋校舎では、よく問題になる。S男は、自分のポケットの中にひもを入れておき、それを取り出してはカーテンをたばねておく。扱いが悪いと、すぐそのひもも見失ってしまうが、次の日には、別のひもを持ってきて、結んでおく。
こんな細かい気配りを、彼はどこから覚えてきたものであろうか。
我が学級のカーテンは、いつも使用されていないときは、きちんとたばねられて所定のところにあるのである。
今、私の手の中には、三十八名の子供たちがいる。それぞれに個性がありそれぞれの日々の行動の中に、ハッとさせられることがある。
つい最近までは、自己中心的な行動が多く目についていたが、その成長の中で、こんなに素直に自然に行動に移す力は、どこで身についていったものなのだろうか。
道徳の時間や学級指導などの時間はそれぞれ自分自身への戒めの時間にもなっているような気がしてならない。
(伊達郡保原町立保原小学校教諭)