教育福島0010号(1976年(S51)04月)-028page
教育随想
日々、あらたなり
鈴木憲子
言い古されたことばではあるけれども、「教師と子供とのめぐりあい」の不思議さを、今更ながら感じさせられるきょうこのごろである。
昨年の人事異動の折、前任校一中学校)の校長に、「羽太小にいってみないか。」と、声をかけられた時、わたくしは我が耳を疑ぐった。
長い間、中学生相手に暮らしてきただけに、いまさら小学校の教師になるなど、思ってもいなかったのである。
勧めに従い、昨年四月、意を決して本校にとびこんできた。
自分の背丈よりも、高い中学生をみなれてきたわたくしが、いきなり、小学校二年生十二名の担任となったのである。まことに、不思議な出会いであった。
毎日、毎日が、わたくしにとって新しい驚きと喜びの連続であった。
やさしく、そして、正しい日本語を使う必要にもせまられたし、小学校二年生の段階で、すでに基本文型を教えるという事実にも面くらった。
心理的な発達段階についても、この子供たちの延長が、中学生であったかと思いあたることが、多々あったのである。
なかでも、小学校低学年を担任してみて、わたくしは、教師として忘れかけていたものを、ゆり動かされる思いがしたのは、教師と子供との心のふれ合いについてである。
低学年児童にとって、担任教師は、まさに絶対的存在であり、喜びにつけ悲しみにつけ、話しかけないではいられない存在であった。
自我にめざめ、精神的離乳期にある中学生に、ほんとうの心の琴線にふれるふれ合いを求めるのは無理にしても、中学校に在職していたわたくしは、生徒たちの悩みや関心事について、親身になってやるやさしさに欠けていたように思われてならない。
さて、本校教師となって二年目の今年度は、はからずも一年生を担任することになった。
教員生活十七年目にして、初めて体験する大役である。
人間として、白紙の状態の子供を担任することは、教師として無上の喜びであると同時に、おそれにも似た厳粛なものを、感じざるを得ない。
「学ぶ」ということが、実に「まねぶ」ことであるという真実を、わたくしは初めて体験した。
廊下の歩き方からあいさつのしかたまで、わたくしの一挙手一投足を、真剣なまなざしでまねをしょうとする子供たち……。その十五人のあどけない姿を見ているうちに、わたくしは、はっとえりを正す思いにさせられた。
まねられることは、単に学習の領域に限ったことではない。ひょっとしたら、人間としての生き方−−少なくとも、ものの見方・考え方まで、まねられることになるのではないか。
やがて、この子らが成人したとき、それぞれの生き方のささやかでもいい一つのささえになってやれるような種をまいてやることができるだろうか…と思いをめぐらすとき、改めて小学校一年生を担任するものの重みを感ずるのである。
子供たちにとっては、わたくしが労働者であるか、聖職者であるかなどということは、どうでもよいことであって、かんじんなことは、「ぼくたち、わたしたちのたったひとりの先生」であるという事実である。
この厳粛な事実に、たえうる教師でありたいとわたくしは思う。
那須山麓の小さな小学校にきて、二年目。
粉雪のふぶく中で咲きはじめた黄色いまんさくの花に、春をみつけたと思うまもなく、子供たちが、手に手にすみれの花やつくしをもって学校へくるようになる。四季おりおり、豊かな自然の恵みにつつまれながら、日々あらたなる思いで、子供たちと暮らしている。
(西郷村立羽太小学校教諭)