教育福島0011号(1976年(S51)06月)-027page

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教育随想

 

カバン

菊池清

努力しなければその責を果たし得ない。』と己に厳しくのぞむ態度とであった。

 

教育の道を歩きはじめてから四十余年、教諭(訓導)・教頭・校長・教育長とその職名のうつりかわりとともに、その職務の内容・責任の範囲が異なってはきたが、一貫してかわらなかったものは『師道を求めるために常に謙虚さを失うまい』とする心構えと、『凡庸なこの身、人に倍して努力しなければその責を果たし得ない。』と己に厳しくのぞむ態度とであった。

その間一日の休みもなくカバンを持ち続けたわけだから、小学生時代の肩かけから数えると五十五年余となり、まさにカバンとともに歩いた人生ということにもなりそうである。そして時代の流れとともに、形・中身ともいろいろとかわった。特にその中身に至っては高官の重要書類、富めるものの高価な財宝等に比すべくもなく、社会的にに見て全く無価値に等しいものばかりであったかもしれないが、私にとっては一身同体と言ってもよいほどたいせつなものばかりであり、実はこれに助けられたからこそ今日までつとめられたのであり、まさにカバン様々である。ここでその中身の変化のあとをふりかえってみたい。

教諭(訓導)時代

かけがえのないこの子、すこやかな成長をと、祈るような気持ちで、毎日送り出す親心をしっかりと心でうけとめて、この子たち一人一人の尊い生命に希望の燈をともすものこそ我なり。その力伸ばすためまず己の研さんこそ…その心育てるため仕事への情熱みなぎる後姿もて……とそれらの資料をいっぱいつめたずっしり重いカバンをにぎりしめ、はりつめた気持ちで学校への道を往復したものだった。

教頭時代

仕事のくばりの巧みさこそ教頭のいのちと、一日一日学校の運営に心を砕き先生方の持つ能力が最大限に発揮できるよう工夫をこらした集積をぎっしりつめこんで、壮年の体力と気力の限りを尽くす満々たる闘志をもやしながらも、いっさいを胸奥に静かに秘め、笑いと.ユーモアがとびかい、温かい人間味ただようふんい気の職員室にしたいものだと、いろいろの工夫をこめたカバンを持ち続けたものだった。

校長時代

生きるしるしある校長の仕事の第一は子供の心に自分の魂を移し植えることのできるしあわせである。接する言葉で、顔で、態度で純真な心をゆりうごかしたい。特に卒業式の式辞こそ校長の真面目を発揮すべきとき、母校へ心のいかりをおろして巣立ってゆく心を奮いたたせ、彼等の生命のある限り、激れいし続けられるような式辞をと、ない知恵をしぼった原稿が常にカバンの一部を占領していたものである。

校長の今一つのしあわせ、それは教師を育てる仕事ができることである。教師が育たない限り教育活動の向上は期し得られない。たとえそれがどんなにむずかしい仕事であろうとものりこえなければならないし、苦労が多ければ多いほど育ってゆく教師像をながめる喜び。そのだいご味を味わい得る特権こそ校長となった生きがいの最高と……自分に言いきかせ、『子供に厳しさを求める教師はまず自分に対して厳しくなければならない。かく教師に厳しさを求める校長は自身に対して最高の厳しさをのぞむべきである。』を信条に、せっさたくまし合った日々の、よき友こそ手あかによごれたカバンであった。

教育長となって

五万五千市民の教育振興によせる期待であしつぶされそうになるカバンを必死の気持ちで持ち続けているが、その重みに堪える最大の武器こそ、「心をとぎすまして市民の声なき声にまで耳を傾ける姿勢である」と自分に言いきかせ、「カバンよ、その声を見事にうけとめられる心眼を開かせてくれ」と願い続ける日々である。

やがて現職を去る日

長い間苦労をかけたカバンの役目が終わる日もくるわけであるが、引き続き社会奉仕の仕事とつきあってくれということになりそうである。そんなことになると、カバンが完全に解放される日は、この世とのわかれのときということになるのだろう。

 

(須賀川市教育長)

 

 

 


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