教育福島0011号(1976年(S51)06月)-028page
教育随想
磨くことのむずかしさ
石川英昭
○夏休みに
八年前の夏休みのある日、新人戦大会を目前にして各クラブとも猛練習に励んでいた。
体育館の前を通り過ぎようとしたとき、あまりにも熱気に満ちた気合が聞こえてきたので、練習ぶりを見たい気持ちになり入ってみた。
剣道クラブの生徒たちが猛練習に励んでいる。私は特に剣道の練習をしたことはないが、小学校のころ一年間くらいと、中学生時代(旧制中学)に同級生に剣道部の者がいたので打ち合い程度はしたことがある。練習が一段落して二年生のSがふき出る汗をタオルでふきとっていた。
私は冗談半分に「お前のメンなら一本とれそうだな。」と言ってしまって、(気にしたかなあ)心でつぶやいた。「先生になんかメンどころか、どこだって一本もとらせませんよ。」という返事である。「よし、ほんとに一本とってやるから防具をつけろ。ただし、先生は防具をつけていないんだから打ち返すなよ。」大へんに勝手のよい理屈をつけ体育館中央で向かい合った。心の中では力いっぱいの一本をとってやると考えながら気合いをかける。生徒も負けずと声を出す。すきを見て打ち込む……。全然ふれない。また、打ち込む……。竹刀で軽くはねられまただめ。メンはとれそうもないからコテをとるか。考えなおして「コテ。」「コテ。」と打ち込む……。これも全然だめ。汗は流れ、呼吸は早まるばかり……。「先生の負けだ。」「先生なかなかじょうずですよ。」といわれ己の足りなさと、磨くことの偉大さをしみじみと知った日であった。
○卒業式で
何回迎えても卒業式は緊張する。とくに、「進行」する者のミスで騒然となったり、失笑をおこすようなことがあれば卒業生に申訳ない。前年度(五十年度)卒業式は何年振りかで女子生徒が答辞を読むことになっていた。式は予定通り進行した。校長先生の熱情のこもった式辞をじっと聞き入っている卒業生……。在校生の送辞に、はやくも目をしばたいている卒業生がいる。続いて答辞。例年のように校長先生の前で読み始めた。と、三分位たったころか、急に声がとだえてしまった。体の具合でも悪いのかとそっと見ると両手に開いてもっている……。大丈夫だなと心に聞かせじっと待つが読まない。
式場はせきばらい一つ聞こえない。なんとかしなくてはと意を決し、そっと歩み寄ると「先生どうしても読めません。」「静かにたたんで上げなさい。」私もそのようすを見て泣けてしまった。声をあげて泣いている者もいた。
日が過ぎて修了式の日、式がおわって生徒たちが帰りがけたころ、一年生が寄ってきて「先生この前の式の時は泣いたべ、今日は泣かねのかい。」「感激した時はひとりで涙が出んだぞ。」心に感じる子供、人間味豊かな子供を育てたいと念じる日々である。
○小さな墓標
「逃げた!!逃げたぞ!!」「キヤー。」とても授業どころではない。「静かに。」しばらくして静まった。かえるもやっとかんに納まったらしい。いつも発言するAが、先生いのちあるものを大切にしろ、といっているのに六匹も殺すのがい。」続いて女の子が、「かわいそうです。」さて弱った。これらの声を無視して解剖にとりかかるわけにはいかない。「いいかみんな、一匹のかえるで四十人がよく学習できるか。切ったときの手ざわり、細かいしくみ、わからないだろう」麻酔をして痛みをとめること、学習のため止むを得ないこと、も付け加えた。輝く目、動くメス、他の班を調べる子、各班とも本気でとり組んでいる。
翌朝学級花壇を見ると小さな墓標が六つならんでいた。生徒たちの顔が重なり合う。昨日のようにならないようにどうするか、考えながら玄関へ向かった。
(西会津町立群岡中学校教諭)