教育福島0011号(1976年(S51)06月)-030page
教育随想
ラケットを振るとき
飯高泰昭
高校での運動部顧問はどうあるべきか……。教員になっていくばくもない若輩の身ながら、軟式庭球部の顧問として、こんな日にはつい考えさせられる。こんな日−計算づくとは言え、生徒をしかりつけた日である。
「おまえたちは誰のためにテニスをやっているんだ。俺に頼まれてやってるようなら、やめちまえ。ノルマ消化だけの練習をするサラリーマン選手にはつきあいきれん。」うなだれる男女部員の前に、それが計算の上での叱責という後ろめたさからか、大声を張りあげねばならない自身の未熟さゆえからか胃の痛みを覚えたのはつい先刻のことである。
顧問である前に教師として、勝つことがすべてではないと割り切って指導してきたつもりだった。他方、額に汗して励んでいる生徒には、どうせなら勝たせたいと思っていたのも事実だった。そして、生徒のためにと、徹底して自らを部活動の指導にのめりこませて行くにつれ、後者に比重がかかってきたことも否定できない。そこからも胃の痛みがくる。昨年、男子が団体・個人と合わせてインターハイに出場した後お決まりの反動がきて、部は一つのエアポケットに陥ってしまった。その空虚感の中から現在の私に導いてくれたものは、勝った生徒の明るい笑顔である。その笑顔見たさに、勝つことが主体になってしまうのである。
それにしても、勝つことを主にしている弊を考慮せずにいるためか、このごろは考えることが多い。顧問の限界選手の気質といった点にである。自分の力不足が第一だが、感じている不便をあげると次のようになる。
一つは、クラスヘの迷惑である。休み時間を極力利用しているものの、テニスコートがなく市営のものを借用している関係で、勢い放課後のクラスとの接触はなくなる。涙が出るほどのクラスの理解に甘えてきたが、進路の決定を控えた今年度には悩まざるをえない。
次いで、私個人の問題がある。生徒の「結婚してたら奥さんに逃げられるね」という言葉を待つまでもない。土日曜日はむろん、祭日もない。雨の日に解放される程度で、それとて添削が待っているから、寝ることが楽しみになってしまう毎日である。それに、通勤が負担となる。練習と列車時間の都合から帰りには急行を用いることが多く、家庭を持っていたら、まさに生徒のいう通りである。
そして、高校生気質の問題。部活動が一つの目的を持つ団体活動である以上、ルールと規律なしにその集団は維持できない。教育の場ゆえにこの二つはなおさら重要となる。ところが、近年、同好会的要素が強まりつつあってその点を改善しようとすると退部する者が増している。進学のために入部者が少なく、また途中で退部するのに比べ、この気質は問題である。生徒とともに考え、生徒の自主性をはぐくんで……とはじゅうぶん理解しているつもりだがどうも年々、わがままと混同した誤った自主性を強めているような気がしてならない。集団生活でのマナーとかルール、他への迷惑など……まるで無頓着なのである。この気質を、部活動を通じどのように改善し伸ばして行くかと、思い悩むこのごろである。
しかし、ともかくも、部の指導をトータルして得られるものは、苦しみや悩みというものよりも、自己満足かもしれないが、喜びと充実した思いであり、この点で救われてはいる。
本校は新校舎が完成したばかりである。念願のテニスコートはまだ造られてはいない。しかし、この新しい環境にあっては、形の上で市営のテニスコートを間借りしてはいても、原高軟式庭球部として、学校の新しい歴史づくりに寄与しようと、部員ともども張り切らざるをえないのである。
私はもろもろの思惑を秘めて、今日もコートに立つのである。
(福島県立原町高等学校教諭)