教育福島0011号(1976年(S51)06月)-031page
教育随想
ふり返ってみて
岡崎絹子
私か初めて教員として赴任したのは会津の山の学校で、冬になれば豪雪に悩まされ、交通も途絶してしまう地理的には恵まれない土地であった。
そこで、私が最初に担任したのは、一、二年の複式だった。
何をどう指導すればよいのか戸惑いを感じながらの、指導面では毎日毎日が不安の連続だった。でも、情熱をもって子供にぶつかれば、どうにかなるという気持ちで、一日一日をすごしてきた。こうした中で、唯一の救いは子供たちだった。素朴で純情で、私を慕い信頼してくれた。授業中は子供たちと顔をつき合わせ、わかるまで反復させ、子供たちもまたやめようとはしなかった。休憩時になると、子供といっしょに校庭へ出て、ボール遊びをしたり鬼ごっこをしたりして、常に子供たちと行動をともにした。
勤務を終え家へ帰っても、子供たちは遊びの相手にと私を誘い、私も遊んだ。自分の生活から子供たちは切り離せない毎日であった。自然と言葉では表現できない何かが、私と子供たちとの間に流れていった。
更に私を勇気づけてくれたのは、地域の人々の温かい心の支えだった。この地域の人々に助けられ、無事すごせたと申しても、過言ではないと思っている。
このようにして、子供たちの前に立つようになってから早十余年がすぎ、中堅教員と呼ばれる年代になった今、しみじみと過去を振り返ってみると、あの頃は終日子供とともに行動できる若さと情熱があったと思う。
今はどうだろうか。いろいろの雑事に気をとられたり、施設設備の不足などを嘆き、学力の低下も、個別指導をする時間がないなど’と、都合のよい言いわけなどしがちである。
しかし、教育という仕事の重みを本当の実感として受けとめさせたのは、この歳月であるような気がする。
この激変する時代に生きていく子供たちに、してやれることは何か、教師として真剣に考えてみる必要はないだろうか。
学力の低下は、子供の能力に起因するなどと、いささかも責任を転稼するような事があってはならないし、一人一人のつまづきや陥没点などを教師はおさえ、それに応じた、また、その子に応じた指導をしなければならない。
私は、教師としての自分を、少しずつでも変えて行きたいと常に願い続けてきたし、現在もそうでありたいと思っている。教師という仕事の中で、自分を創り出し自分をひらいていく事は教師としてより新鮮な仕事をするためにも大事なことである。
子供たちに対しては、あまりにもわくの中に押しこんだ、形式にとらわれた授業をしてきたのではないかと、反省もあり恥ずかしい気持である。
これからはもっと子供たちの本音をはかせながら、この子たちの願っているのはなになのかを見きわめながら、一歩一歩進んで行きたいと思う。
「常に児童の味方たれ。ゆめその欠点をあばくなかれ」というエマソンの言葉を今後もだいじにしていきたい。
(いわき市立上遠野小学校教諭)
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