教育福島0011号(1976年(S51)06月)-035page

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ときよく話されることは「小さいながらも楽しい我が家ということがあります。私たちの村は、人口二千五百人(二千五百七十九人)です。少ない人口ですが、社会体育をとおして、明るく生活できるようがんばりましょう。」と。村で最も人口の多かったのは昭和三十二年で、当時は、三千六百三十七人を数えたのであるから、今の一・四倍もあったわけである。今過疎の村とはいえ、ここに住む住民が日常生活の中でせめて明るく生活することができれば、それは過疎という暗いイメージをぬぐいさるひとつの手段にもなると思う。一日の労働が激しく、心にわだかまるストレスがあったとしても、スポーツに運動にひとときをおくることによって、新たな意欲がわいてこよう。明るい村づくりは、心の通ったコミュニティーづくりをすることにあり、それは体育活動をとおして人間関係を向上させることから始まる。村の広い意味での体育は、身体による身体の教育、または運動を手段として行われ教育であることを銘記し、人口の少ない村ではあるが、明るさにおいては他村に負けない努力を重ねたいものである。

 

(保健婦さんの協力で血液検査)

(保健婦さんの協力で血液検査)

 

四、金じゃない、十日会

 

社会体育振興の決め手は、指導者であることはいうまでもない。我が村の自慢は、体育指導委員や学校協力員、体育協会関係者のボランティア精神による協力推進の体制である。それぞれ職業をもつ生活者であることは各市町村とも変わりはないが、会議は主に夜にもたれる。仕事を休んでとなると長続きしないため、できる範囲ででてもらうことになる。体育行事は、すべてこのメンバーで組織され、具体化されていく。常に協調性を保つことから、仲間同志という意識がある。特に体育活動においては、決められた報酬や費用弁償が高いから、それで事業が遂行されるということにはならない。事業達成は、「お互いにやろう」とする仲間意識からの出発である。

お互いに自分の持っているものをだしあい社会に貢献していくという「生きがい」の発見の場所が「十日会」である。これは、十月十日「体育の日」にちなんで昨年発足した会である。体育指導委員や体協関係者が集まって、一つのテーブルにウイスキーや、酒、ビールが並ぶ。印刷物を広げての会議より、新しい体育振興のビジョンがどんどんわいてくる。これが形式抜きの十日会の姿である。十日会のメンバーである岡本体育協会長が村議会の副議長に、大竹副会長が、議会文教厚生委員長にそれぞれ就任されたことは、村の社会体育をいっそう振興する原動力となろう。

 

(村民いっせいにラジオ体操)

(村民いっせいにラジオ体操)

 

五、健康に努めよう!

 

「金より大事なもの!それは健康です。人間百まで生きる人も、六十歳で死ぬ人も、それはいたし方ありません。しかし生きている間、人に世話にならずに働けること、それが健康です。」これは今年二月十一日、雪深い伊南村においでを願って講演をいただいたときの県体育指導委員連絡協議会長鈴木博先生のお話の一節である。集まった村民八十七名は、健康について聞いたこの具体的表現に、少なからず感銘を受けた。特に近年私たちの生活は便利になり、食生活はインスタント化し、働くことも機械に依存することが多くなった。身体を動かすことが少なくなってきたことは、反面、文明病にとりつかれる結果ともなっている。

伊南村の昭和四十九年度の死亡順位一位は脳卒中、二位心蔵病、三位ガンと、いずれも成人病に占められていることは、今後の大きな課題として考えねばならないことである。このような観点に立って、社会体育活動が、明るく楽しい村づくりを標ぼうし、住民の健康増進、体力増強に加えて、地域の人間関係を向上させるために、今日もひたむきな努力が続けられている。

 

 

 


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