教育福島0012号(1976年(S51)07月)-026page

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教育随想

 

渡瀬五年目

管野 由信

フトボールです。また、子供たちにとっては数少ない楽しみにもなっています。

 

本校は阿武隈山地の山間部にあり、児童数六十八名(二・三年複式)という典型的な山のミニ校です。そんな子供たちが、誇りと自信を持っているものがあります。それがソフトボールです。また、子供たちにとっては数少ない楽しみにもなっています。

私自身もろくに知らなかったソフトボールですが、子供たちとともに歩んできた四年間をふり返って、述べてみたいと思います。

一年目(五年生担任)

今、考えると自分でもおかしくなりますが、なにしろ子供たちを動かすことより、自分が動く方が多かったような気がします。若さにものをいわせてガムシャラにやっていたと思います。それでも、校長先生や先輩の先生に、少しずつ指導の「コツ」などを教えてもらい、子供といっしょに練習していました。そんなことがよかったのか、村の大会では初の準優勝をかちとり、子供たちにも大きな自信となり、「やればできるんだ」というような気持ちがでてきたようでした。

二年目(六年生担任)

この年は前年とちがって、意欲的に練習に励み、練習を通じてクラス内の交友関係もよくなった年でした。チームワークというものについて考えることができるようになり、その中から責任感というものもわかってきたようです。この年も準優勝でした。そして郡の親善大会が初めて開かれ、一回戦でみごとに負けてしまいました。くやし泣きしている子供たちを見ながら、「やっぱり勝たなきゃなあ……。子供たちがかわいそうだなあ。」と思いました。

三年目(再び五年生担任)

毎年、ソフトのシーズンには、けがをしたり病気をしたりしていた子供たちが、ソフトボールという目標のために、自分自身をコントロールすることができるようになってきたのがこの年です。ふだんの生活の中での自分の健康管理、安全に対する心がまえなどが身についた収穫の多い年でした。試合まで全員ベストの体調で臨むことができ、村の大会では念願の男女初優勝と郡大会では男子の優勝を勝ち得ました。小さな学校でも、せまい校庭でも、努力すればできるんだ。そんな自信をつけてやることができたのは、とてもうれしいことです。

四年目(六年生担任)

この時の六年生男子は、平均身長百三十四センチというチビぞろいでした。しかし今までで最もソフトの好きな子供たちでした。初めて四年生がレギュラーに入った年でもありました。体格体力が劣っているにもかかわらず、村の大会はもとより、今まで例のない郡大会の男女優勝ができたことは、子供たちにとって最高の自信であり、最大の卒業記念ではなかったかと思っています。

また、ふだんの学習指導や生活指導では、うまく指導できないようなことでも、スポーツという場と機会の中で解決することができたこともありました。その中の一つがクラスの交友関係です。よきリーダーの養成もできたと思っています。自己主張の強いわがままな子供も、ソフトのチームの一員として協力することを覚えました。学習成績がおもわしくなく、勉強に集中できない子も、ソフトボールで頼りがいのある選手として活躍しました。

今年もソフトボールの季節がやってきました。児童数は少なくなってきましたが、少なければそれだけ、一人一人の子供に与える機会は多くなるものです。そして一人一人の子供により多くの機会を与えてやるのが、私たちの役目だと思っています。もちろん、他の機会で能力を伸ばしてやることも忘れてはならないことです。毎日、少しずつねばり強く、子供にまけないで子供にくっついて、場と機会をとらえながら目標に向かって指導を続ければ、子供の能力は伸ばせるという自信を私自身おぼろげにわかってきたようです。夏休みまでは、子供たちといっしょにがんばり、今年もよい思い出と強い自信を持たせたいと思っています。

 

(鮫川村立渡瀬小学校教諭)

 

 

 


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