教育福島0012号(1976年(S51)07月)-029page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

教育随想

 

十年後を約束して

久保田良子

る日の一時間、「私の十年後の将来の姿」という題で作文を書くことになった。

 

黒板の片すみには、卒業式まであと何日と書き入れられ、一けたに迫りつつある教字に、教師も生徒もきゅーっと胸をしめつけられるようなある日の一時間、「私の十年後の将来の姿」という題で作文を書くことになった。

「十年後…?私は今二十五才、とうとう十年間もあっという間に過ぎてしまった。楽しかったな。短気だったあいつ、泣き虫だったあの子、注意される時はいつもいっしょだったあいつ、みんなどうしているかな?。教えてくれた先生方。そう先生もいろいろな人がいたな。友達のように語り合い汗を流し合ったあの先生、一見銀行員風でとてもおもしろかった先生、底抜けに明るかった先生、いつも声かけてくれた先生、そしてきびしかった先生、みんなみんなどうしているかな…。もう孫もいて、みんなおじいちゃん、おばあちゃんだろうな。そうだ、今度手紙を出してやろう、いやいや訪ねていってみようがな、それとも…。みんなの姿を想像するだけでうきうきしてくる。『全員集合』早いな、もうみんな集まったの。へえ君すごいな、ヒゲなんてはやして、しかしお前ちっとも変わらないな。独身、そうだろうそうだろう。えっおれ、何やっているかって…。」

(後略)

これはK君の作文である。底抜けに明るい。私はK君の担任となったばかりのころを思い出した。

修学旅行も無事終わった四月の学活の時間のことである。K君の手には、修学旅行の時に買い求めたのであろう一個の鈴が握られ、級友を無視し、担任も眼中にないらしく、ときたまいらだたしそうに鈴を鳴らしていた。取り上げることは簡単であったが、そのときははやる胸をおさえ、一時間後に相対した。意外にも彼は「先生は、進学の人も就職の人も受験という戦いがあることを忘れないこと。試験・試験それに合格することがこの一年間の目標。他人に勝つこと、他校の生徒ばかりでなく、肩を並べたクラスの人にも負けないよう学力で勝負することといわれたので、二年生まで仲良しだった友達との間にもこのごろ利己的な気持ちが感じられておもしろくない」と、一気にまくし立て反抗を激しく示した。受験のための勉強なんかなんの意味があるというのである。私はそのことばに胸をつかれる思いがした。豊かな人間性も温かい友情もかなぐり捨てて「点数」を競わねばならぬ中学三年生の複雑な気持ち、このK君一人ばかりの問題ではないのである。私はこのようなことを予測して指導に当たってきたつもりだったが、どうしてこの気持ちが生徒たちの正しく豊かな伸びのエネルギーに転移しないのだろうか。至らなさが痛いほど感じられた。今まではたしてどれだけの事を生徒といっしょに悩み苦しんできたであろうか。中学生時代は一生がいの中で一番伸び得る時代であり伸びてくれなければならない時代である。どんな状況の中におかれても判断を誤らず、どんな困難にぶつかってもくじけずに処理できる身構えをもてなければならないはずである。私は打ちひしがれる思いで別れた。一か月ほどたった五月の体育祭のことである。個人種目は各学級の得点となって記録される。

K君の走力は見事だった。K君の得点をそれとなく告げほめた。彼は、校内第一位となり総合優勝へと導いたのである。学級内全員が喜びにわいた。

一人の力では優勝はできない、協力し合い団結して事に当たらなければならないことを彼等は知ったようである。

十月の市中教研理科部会の授業で使用する自作の電気ブランコを各班で作成し、すばらしい作品を見せてくれたのもK君であった。生徒の能力を伸ばすもの、それは、教師と生徒の心のふれ合いがあってこそなされるものであることを痛感したのである。

卒業を間近に控え、このように底抜けに明るい。あんなに反抗的だったのにこの変わり様である。意志がしっかと確立し、無限の可能性をもって立ち向かい、能力を最高度に発揮しょうと希望に満ち巣立とうとしている。よくぞ成長してくれたという思いでいっぱいであった。私は十年後の再会を約束して別れた、あの子供たちの明るい笑顔を忘れることができない。

 

(いわき市立久之浜中学校教諭)

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。