教育福島0013号(1976年(S51)08月)-010page
でした。
教育とは………はたしてこの子供たちに教育が………と夜も眠れぬ日が続き、多少特殊教育の経験もあると自負していた己の甘さ、力のなさをこの時ほど思い知らされたことはありませんでした。
しかし、訪問の回を重ねるたびにどの子も精いっぱい生きようとしている姿、こんなに重い障害を持ちながらも何かをしたいと願い、意欲をみせてくれる子供たちに、夢を持たせ、光を与えることができるのはやはり教育だと思えるようになりました。
そして、今では、S君とMちゃんは養護学校へ、J君は施設へと大きく羽ばたいてくれました。
「名前を書いて○をもらってきました」と電話をくれたS君のお父さん。「遠足でお友だちが親切だった。」とMちゃんのお母さんからの便り。「昨日施設へ行ってきました。」とわざわざその後のようすを報告にきてくれたJ君のお父さん。また食事が自立しはじめたEちゃん。歩行訓練に毎日精を出しているR君。ボールの投捕球が上手になってうれしいSちゃん。鈴の音に反応を表わしてくれた丁君。みんながんばっています。
悩みも多く、壁にぶち当たることもしばしばですが、このけなげな子供たちと、子供の幸せを願う家族のあたたかい協力に支えられながら、微力を尽くすことに喜びを感じているこのごろです。
県北担当 冬室 昌子
今まで特殊教育の経験のない私は四人の子供と出合ってから、自分の体が動かなくなった夢に、はっとして目を覚ますことが何度かあった。
−どうしてあの子と遊んだらよいだろう。
−どうしたらこの子らに楽しい学習をさせることができるだろうか。
と思案に余っての心のかっとうであった。
ある子は、不自由な体でいざりながら座ぶとんを持って迎えてくれるし、話せない子は、全身のしぐさで喜びを表わして待っている。
一人一人の障害状況、能力等を的確にとらえ、適切な指導を行うことは容易ではないが、今まで家人以外とは一言も話さなかった子が、少しずつお話しをするようになり、また春休みには、訪問を待って催促の電話をくれたり、子供たちの進歩は著しい。
今後とも、子供の良き理解者として、家族といっしょに悩み励ましあって、この子らの幸せのために尽くしたいと思っている。
県北担当 菊地 春子
“すべての子に教育を”という願いのもとに、福島県でも訪問指導をはじめてから三年目である。何ごとも三年目ともなれば一応軌道にのってよいと思われるのだが、私は、暗中模索の域を脱していない。
四名の受け持ち児童生徒のうち、脳性小児まひ三名、てんかんを伴う精神薄弱一名で、起居動作、摂食、排せつが自立せず、虚弱体質のため気温の変化や環境の変化に敏感ですぐに熱を出してしまう。
医療、福祉関係と連携を密にしないことには、学習を進めるのに困難な状態である。
しかし、児童生徒たちは何かを求めて目がいきいきとしてきているし彼らなりに社会性も身についてきていることは、大きな進歩である。
また、それより大きい収穫は、教育の可能性をすっかりあきらめていた保護者のかたが、こういう子供にも教育の可能性があるという二とを発見したことである。
一方、訪問指導を受けている児童生徒の保護者は、どのように訪問指導を受け入れ、子供の成長を見守っているか、その感想を紹介したいと思います。
福 島 市
“この子に先生が”と思ったとき本当に救われたという気持ちでした。
昭和四十九年から今日まで、親子ともども御指導いただき、このごろでは、子供のひとみも輝き、人と接するにも自分から喜びを体全体に表わし、笑みさえ浮べるようになりました。
一つの動作を習得するのにも長い年月がかかりますが、これからも、先生と母と子が一体になってがんばりたいと思います。
白 沢 村
訪問指導決定の通知を手にしたときは、親として胸のときめく喜びを感じ、遅ればせながら学習できることに満足でした。
今では、五十音も覚えて読んだり書いたりできるようになりました。
訪問日は、朝から御飯の食べぶりにも顔の表情にも、張りきったようすがみられます。先生でなければできない指導に感謝しています。
先生とともに楽しい効外学習