教育福島0013号(1976年(S51)08月)-025page

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教育随想

 

労務管理と人間形成

渡辺十二

、数多い中には、一般に、現代の若者は、といわれる典型的な生徒も存在する。

 

働きながら学ぶ高校生は意外と明るい。表情が生き生きしている。人間的に素直さがある。調子のよさもある。しかし、数多い中には、一般に、現代の若者は、といわれる典型的な生徒も存在する。

産業連携による教育形態だから、担任する生徒の会社・工場を訪問することが多い。その大半は、転職したい、という生徒のためである。寮での生活態度、勤務態度など関係者と話し合う。だが、会社・工場側は、生徒個々人について、案外、熟知していないし、その動向もは握していない。

生徒を面接する。時間をかけて話し合う。生徒はきまって「本当は、仕事はおもしろい。好きだ。学校もやめたくないという。」職場における人間関係が、すべてをいやにする。寮生活では、人間関係はさらに難しくなる。四六時中、同じ者が顔つき合わせての生活では、知られたくないことまで熟知の間柄となる。都合のよしあしにつけ毎日の生活が窒息状態に陥る。

それまでは、親の保護の下に、兄弟姉妹とは何不自由なく、思いのままに生活してきた。それが、見知らぬ仲間と、共同生活を余儀なくされるのであるから、争いの起こらないはずはない。性格的に気の弱い者は、転職したい、というのも無理からぬことである。

再三の会社・工場訪問で、私は生徒の職場転換や寮の部屋替えをお願いする。交替制勤務の場合は簡単にはいかない。不況下ではなおさらである。次に私は労務カウンセラー設置を提唱したい。職場における、気まずい人間関係を解消させるためである。さらに、個人的ないろいろな悩みごとの相談にあたらせるのである。生徒が学校生活にもちこむ問題は、すべて家庭に代わる職場のことだからである。つまり、職場は家庭に代わる「親がわり」なのである。ここに現代企業の変遷がある。それを私は次のように考える。

企業において、求人や定着対策には並々ならぬ努力がはらわれてきている。その一定の成功の秘けつは「親がわり」機能が強く現われたところにあると思う。本来なら責任は親にあるところだし、企業としてはもとより関知する度合の少ない事柄というべきなのである。

だが、本来その関知する度合いの少ない領域にまで手を広げることが、実は企業の求人定着対策のひとつの重要な柱となっている。それはまぎれもない事実なのである。それを理由づけるのは、労働力なるものが、ほかならぬ人間のものだという、きわめて単純な一事であろう。その人間の欲求にこたえることなしに、いまの企業では労働力の確保が難しくなっている。ひいては企業経営そのものも成立が危ぶまれてくるのである。(確かにこの不況直前までは……。)

このようにして、近代経営の支柱である合理主義−具体的には展開における契約の理論が、それだけでは、労使関係を貫徹できないことがはっきりしてくる。現実の就業の姿には、契約では割り切れぬ要素が、ふんだんに盛りこまれているのである。特に、ここ十数年来の、若者たちの高度成長を経過したこんにち、それが若者たちの精神文化的生活環境に与えた影響は深く大きい。家族の分離、男女分布のアンバランスなど、そうした社会変化の中で若者たちの欲求の姿は変貌しつつある。だからこそ、それに対する企業の取り組みも、従来にはない、さまざまな工夫をみせているのであるが、反面ではそれが、単に労働力確保のための管理手段として、ねじ曲げられる懸念もないではない。「親がわり」は現実の必要であると同時に、現代産業社会の生んだ「ひずみ」ともいえるだろう。若者の人間形成といった観点から、もっと改善し、強調すべき課題がここにある。

 

(福島県立福島中央高等学校教諭)

 

 

 


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