教育福島0013号(1976年(S51)08月)-028page
教育随想
自然とのふれ合い
諏佐茂夫
本校は、会津若松市から西方約六十キロ離れた奥会津で、本年度過疎指定町村の適用をうけた金山町の一角にあり、教員数五、児童数四十七のミニ校である。
西辺を流れる只見川の人造湖に映える越後山脈は、四季折々の変化を見せ名産の会津桐にかこまれた校舎と自然に恵まれて生活しているためか、児童には、自然の神秘に対する驚き、自然の美しさに対する感動がないように思う。
いかにしてこの美しい自然に眼を向けさせ、興味と関心を持たせようかと考えてきた。職員間でもこのことが問題とされ、昭和四十三年、学校の正面にそびえる経塚山へ学校の自然観察園が作られ、樹木・野草の標示などを行い、自然とのふれ合いによる学習の場として活用されるようになった。
本年四月、学級担任後まもなく、残雪をふんでスミレやフキノトウを探しに、五月には、ゼンマイやコゴミ、またカタクリの花を探しに登った。
五月二十三日には、公民館主催の野鳥の声をきく会があった。児童にそのことを話したら、たちまち小鳥の声をきくために参加しようと話がまとまった。
しかし早朝五時からの会である。はたして親が出してくれるだろうか、児童が眼を覚まして集まるだろうか、という危ぐの念を持って集合場所の駅前に行った。来た!来た!、A夫もB子もC夫も……、風疹で休んでいた子を除いて全員来た。体の小さい三年生のD夫は、一年生の妹の服をまちがえて着て来た。名まえが書いてあり、しかもダブダブなので、みんなの間から明るい笑い声がわいた。
いよいよ出発だ。県鳥きびたきの声が聞こえる。みんなふだん何気なく聞いている声だが、「県の鳥だ。」といわれて改めて耳を澄ます。
経塚山の頂上に登るまで、何種類の鳥がないたことか、センダイムシクイ・ヤブサメ・アオバヅク・サンショウクイ、等々。
頂上から更に奥に行くと、オオルリの姿が見えた。国語の不得意なE夫はこんな時のために双眼鏡を持って来たので、得意気に友だちに貸して見せている。
道の両側に山菜が見え始めた。ワラビ・モガキ・タラノメなど知らない児童が多い。こうなると算数の不得意なF夫の独壇場である。眼を輝かせてあちこち走り回って、手にいっぱいの山菜を採り、友だちに採りかたを教えている。
ふだんあまり皆と口をきかないG子も、友だちと楽しそうに話し合ったり笑い声をあげながら山菜をさがしている。やがて、アザキダイコンの群生する原っぱで解散になった。それから、イヌツツジの花をとったり、みんなで歌をうたったりしながら、また、いろいろな小鳥の声をききながら道をくだった。時間にするとわずか二時間半だったが、双眼鏡で小鳥の姿を追っていた子、小鳥の鳴き方をことばでおぼえようとけんめいな子、木々の間をかけめぐって山菜を集めた子、初めて採る山菜に喜んだ子、かわいい花を見つけてそっと手に持っていた子、友だちと手をつないで歌をうたった子……。児童にとっては、自然とのふれ合い、友だちとのふれ合いという意味で、貴重な時間であったと思っている。
できるならば、今後もこのような機会を数多くつくり、恵まれた自然を見つめなおし、それに親しむことを通して、自然の美しさ、偉大さを心のひだに刻みこみ、自然への畏敬の念から、謙譲の心が自ずとにじみ出る情操豊かな子供になってほしいと願いつつ、日々の教育活動に精いっぱいの努力を傾けていきたい。
(金山町立中川小学校教諭)