教育福島0013号(1976年(S51)08月)-029page

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教育随想

 

思いで

一重佐代二

のふれあいが疎遠になって、教育作用が機械的になりはしないかと心配される。

 

私は大正時代に教育を受け、昭和初期から教師として教育に従事してきたが、近年教育の現場が多忙になり、教師と子供のふれあいが疎遠になって、教育作用が機械的になりはしないかと心配される。

私たちの子供時代は、先生と親しく話したり遊んだりしたことが、思いでとして心の奥に残っている。

学校行事なども今よりは少なかったと思うが、郷土の生活に密着した生産的なものもあり、一方農繁休業には親といっしょに仕事をし、親の働く姿をまのあたり眺めることによって、尊敬と感謝の念が意識しなくとも子供心に、心の奥底にやきついていたと思う。

秋になるといなごとりの行事があり午前中いっしょうけんめいとり、昼食すぎはたんぼで遊んだり川で魚をとったりして先生にしかられたことが、今なつかしい思いでとなって懐旧の念禁じ得ないものがある。冬は教室に大きな角火鉢を二つ置いて木炭を燃やし、休み時間には先生が両足を火鉢の縁にあげて股あぶりをしながら、子供たちといろいろなことを話しあったことなど思いだし、教師と子供のふれあいに、何とも言えない温かみと親しみのあるふんい気が醸成されていたような気がする。こんなことは半世紀も前のことで、今に通用しないといえばそれまでだが、今一番心配されている人間教育の場面がこんなところにあったような気がする。

過日私の町で少年教育研究協議会が開催され、子供会の組織や運営のことで研究協議されたが、私たちの子供の時代は子供会という名称はなかったが先輩つまりガキ大将が中心となり、大人の指導もなく子供同志で立派に楽しく運営されていたことなど思いだす。活動の一例をあげると、毎週日曜日は神社に集まり、境内を清掃し終わると強勉をしたり遊んだりした。こうした行動をとおして、規律を守り協力する精神が培われ、作業をとおして勤労の精神が培われ、遊びや慣習が親から子へ子から孫へと伝承されたのである。

今は子供会を組織してやり、指導員を依嘱し、遊びや作業、学習などを指導しないと、遊び方もわからないとはまことに情けないことである。

教育の分野が家庭教育・学校教育・社会教育と分担があり、お互いに自分の領域を守りしっかり教育するならば問題はないが、それぞれの領域の谷間がとり残されるようなことがあれば不幸をみるのは子供である。子供の幸福のため、奉仕と協力の精神でその谷間を埋めていきたいものである。

再び目を学校教育に転ずれば、近頃批判の声が高い偏差値や業者による学力テスト、そして学習塾等々知育偏重の教育が、槍玉にあがっている。去る六月七日の朝テレビでも論じられていたが、ある中学校の校長先生はこのことを必要悪といい、ある労組の幹部は必要外のことであるが現状では学校や家庭に密着しているといっておられたが、こうした現象の要因は、学歴優先社会の競争社会の中で、よりよい生活をさせようとする親の願いかと思う。こうした気持ちも理解できないわけではないが、根本問題が解決しない限り子供の生活は変わらないと思う。

テストのことで考えてみるに、なぜ業者テストを使用するのか、私たち教員の時代は、自作テストで学習効果を評価することが当然のことであった。毎日ガリを切り自分で印刷をして、明日のテストの結果を楽しみにしていたものであった。今の学校は多忙で時間がないので、市販のものを使用することになると思うが、どうしてそんなに多忙になったのか、一つ一つそのよってきたるところを洗いだしてみる必要があると思う。

私はこう考えている。知育はもっと重要視していきたい。いわゆる知識の記憶・暗記では役にたたない。ほんとうに理解し自分のものになる知識でなければ、真の楽しい立派な社会にはならないと思う。そのような生きた知育教育を育てるためにも、教師はみずからの汗を流した教材や教具により、血の通い合う指導を日々積みあげることに熱意をそそぐ必要があると思うのである。

 

(塩川町教育委員会教育長)

 

 

 


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