教育福島0013号(1976年(S51)08月)-030page
教育随想
水無月の朝
天野史朗
教師生活二十余年を思うとき、必ずしも平たんな道ではなかったが、毎日が全く夢のように楽しい。
今日もまた、目を覚ました床の中でクラス生徒の一人一人の横顔を思い浮かべてみる。昨日休んだ生徒は、元気に登校するだろうか。糖尿病あがりのやつれた表情で、いちずに学習に取り組む生徒の体は、本当に大丈夫だろうか。学習問題、交友関係、進路指導、生活指導等、山積する個々の生徒の悩みや、喜びなどの複雑な素顔を、この短い時間の中で浮き彫りにしながら、一日の教育計画を立てる。
よし「今日も精いっぱいやるぞ、生徒たちに打ちとけて、前向きな生活をするぞ。」と、ささやかな願いをこめてスタートする。一日の教育の出発は、このように、生徒たちと単に生活をともにし指導するという形よりも、むしろ私の場合は、ともに行動する小さな心の触れあいの中から、より深い価値感のある悩みや問題の真実を学びとり、真剣に受けとめながら、より強い人間関係と共鳴する感動を、たいせつにしたいのである。私にとって、それは自分の歴史であり、教育信念の核であり、心の支えのように思うのである。
教育は、そんな願望を秘めながら「おはよう」というあいさつから始まるのである。わが校の先生方や、生徒たちの響きある澄んだあいさつは、職場も教室も、そして個々の生徒たちにも、温かい心の響きとなって伝わり、なごやかなふんい気が漂ってくる。美しい生活経験の積み重ねは、より良いしつけとなって残ることを信じて教室に向かう。
机間を巡視しながら、短い対話をとおして、健康観察や服装などに気をくばり、軽く肩をつついたりして励ましのことばをおくる。それでもなお、個個の生徒との心のふれあいは、時間的制約を受ける。どうしてもいっせい指導や、一方通行になり易い欠点があり生徒の心を十二分に汲み取ることが出来ない場合が多い。
そこで私は、個々の生徒との対話の助けとして、毎日提出される家庭学習帳を利用してきた。個々の生徒に応じ気付いたことや励ましのことばを、時間の許す限り書きこむのである。しかし、毎日のことなので、検印だけで済ますこともあるが、できるかぎり空き時間をフルに活用して、書き続けてきた。その効果は、何年も経てみないとわからないだろうが、生徒の反応は確かにあるものと信じている。心の交流の助けとして、ノートにしたためることが、教師の喜びなのである。
生徒は、うそを書く時もあるかもしれない。しかし、うそとは思いたくない。信じてやることの方が先である。
こんなことをして、どれだけの効果があるものやらと、疑問に思う時もあるが、一年、二年、三年と続けてきた。そう期待を急ぐ必要はないと思う。生徒たちのひとみが輝き、明るい生活がはね返ってくれば、それでいいのである。とにかく、クラスのふんい気は底ぬけに明るい。「先生、肩もんでやっか」「先生、フォークダンスやりましょう」と呼びかけてくる。実にかわいい。男女の仲も協力的である。先週の学活の時は、講堂でダンスをした。オクラホマミクサーやコロブチカの曲が流れると、一時間は夢のように過ぎて踊れなかった生徒も、終わり頃には上手にこなしていた。うっすらと汗ばんだ額をふきながら、ふだん目立たない生徒たちの終始生き生きとした姿が印象的であった。
教育の現場は、忙しく厳しい。大自然のような流れが、そこにある。長欠問題生徒に振りまわされ、幾度か家庭訪問を続けたり、信じた生徒にうらぎられたり、泣かされたり、そんな生徒が、卒業し、やがて立派に成長して、先生!!と、訪ねてきてくれた時の喜びは、生がい忘れることが出来ない。また晴れの結婚式に招待された時などの喜びを思うと、教師と生徒との心のふれあいは人格形成の上からも、生がい教育のかなめとして、その休みなき尊い厳しさを、更にかみしめるものである。
水無月の山々にこだまする郭公鳥のように、響きある朝のあいさつから、心の触れ合いの場を広げたいと常に願っている。
(富岡町立富岡第二中学校教諭)