教育福島0014号(1976年(S51)09月)-025page
教育随想
「開かれた高校を夢みて」
佐藤 毅湿
学校へ行くのが楽しくない生徒七二%(全国平均五九%)、授業に打ち込めない生徒五五%(四九%)、家での勉強が三十分以内の生徒四四%(二七%)……全校生を対象に昭和五十年七月の調査である。いちばん楽しいことは、夜中にラジオを聞きながらバイクをみがいている時だ、と答えた生徒がいる。この生徒たちも、勉強はしなければならないとはいう。人として備わっている知的好奇心を育て、生きがいを感じさせる高校は?と想像してしまう。
1)好きな科目を好きな時間だけ学習できる高校。
2)きびしく鍛え、その成果を深く味わわせてくれる高校。
3)情報社会におかれている自分の自主性を回復させてくれる高校。
想像はまず、完全な単位制と選択制を実施する。四週間内に実施される百分授業十五回をもって一単位とする。この十五回は担当教員が必ず実施することにする。高校資格(高校「卒」資格ではない)は七十二単位以上とし、学習科目は種類も程度も問わない。
高校生は一応二つにわけられる。一つは現在の高校生に対応するもの(甲型)であり、他は年齢もなにも関係のない高校生(乙型)である。進学希望の中学生は卒業時に甲型か乙型かを選択する。甲型志望者は毎日通学できる高校のいくつかに所属希望をだす。高校では、中学校の調査書に基づいてそれを決定する。甲型がそこに所属できる期間は中学卒業後五年または二十歳までとし、以後は希望により乙型となる。乙型は身近な高校に所属を登録する。
教員は年に「授業」を八単位、「講習」を二単位担当する。「授業」とはいわゆる現行の授業である。「講習」とは、乙型を対象とする授業であり、夜間と甲型高校の休業時に開かれる。講習は公立私立を問わず開かれ、乙型はもちろんのこと、甲型もどこの講習に出てもよい。講師も現職教諭であれば、どこの講習を担当してもよい。なお、授業・講習の年間予定は担当教員、開講高校とともに全県いっせいに発表される。こうなれば、職業高校も普通高校も、その教員構成、専門性、施設・設備に応じた授業や講習が開ける。しかも、認められた科目であれば、他教科とのかねあいというワクにしばられることもなくなる。
高校生は甲型も乙型も学習したい講師の科目を受ければよい。甲型は四週間に四単位四科目(授業三単位、講習一単位)を限度に学習できる。現行の一週間十〜十四科目に比べて、学習能率はあがる。生徒は一単位ごとにテストを受け、五十点以上ならば、単位が認められる。不合格の科目はくり返し受講できる。受講は理由のいかんを問わず、遅刻や早退は欠席とされる。欠席は一単位五回以上は単位不認定となる。卒業証書はなくなり、そのかわり七十二単位以上の単位取得者には、高校資格証明書が与えられる。履修科目と単位数、履修高校、所属校とHRTなどについては、別の証明書がある。
教諭は全員が原則として三十人前後の高校生の担任(仮にHRTという)となる。高校生は甲型乙型の区別があるだけで、学年制度はないのだから、生徒は高校資格取得までそのHRTを相談相手とする。ただし、年度初めに一回、HRTは自分の手に負えない生徒を手放し、生徒も自分になじまないHRTから変わる機会がある。HRTは担任生徒の進学就職の相談、その生徒に適合した科目や単位数の相談をはじめとして生徒の自主性をひきだし、悩みを聞くなど教育相談が中心の仕事となる。
この高校では、大学を目指す者も就職を希望する者も、その目的を達成するために必要な科目を、自己の能力と態度に適応させて学習する。また、いまの高校生だから問題となるような生活指導上の行為も、少なからず教員の側からも生徒の側からも解消されてしまうのではあるまいか。
生活指導係になって二年目のこの頃、何度も非行をくり返す生徒の指導を、その先生の教育愛にだけ頼っていられなくなったと思う。量がふえれば、質が変わる。数の多さに対しては、教員も集団の力で対処しなければならない。そのためには、意識も制度も変えなければならないだろう。
(福島県立福島商業高等学校教諭)