教育福島0014号(1976年(S51)09月)-026page

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教育随想

 

この道を

阿部久子

人々に元気よくあいさつをしながら、私は今朝もこの道を高台の学校へと急ぐ。

 

安達太良晴れて梅香る岡の学園…。つい校歌が口をついて出るさわやかなこの道。バス停から七分。純朴な町の人々に元気よくあいさつをしながら、私は今朝もこの道を高台の学校へと急ぐ。

児童たちが、自主活動の時間に汗して手入れした心のこもる草花が、白い石段の両側に美しく咲き乱れて、さらにすがすがしい。

バラのアーチをくぐりぬけて登りつめると、一、二年のO君とHちゃんが「教頭先生おはようございます。」と、ランドセルの鈴を鳴らしながら朝早い校庭のブランコからきそって走り寄る。

何かほっとする一瞬!

二人とのわずかの時間の語らいは、私に、きょうの励みと緊張感を与えてくれるから不思議である。

一年間黙して語らずというH児は、毎朝話しかけても指をくわえて遠くに立っている四月だった。「うんうん。」とにこやかにうなずくようになった五月。どしゃぶりの雨の中で「せんせ、おはよ。雨が雨が。」と言葉を放つようになった六月。そしてかぎを持ってきたかと問いかけるまでに成長し、廊下などでも対話ができるようになった七月。

新担任のW先生は、心暖かい学級経営の中で、この子の純真な心を少しずつ少しずつ開いてくださったのだ。

こうした教育のすばらしい姿に直接ふれながら、私は、ふと夢中で過ごした教頭一年生の四か月間を、しみじみとふり返ってみるこのごろである。「教頭先生。みんなでお待ちしていたんです。ぜひこの列の中を……。」と。全児童百五人が迎えてくれたこの道を、「誠意と勇気をもって精いっぱいがんばらなければ。」と、一歩一歩感激の中で歩んだ私。校長室で、ゆっくり、はっきり、しっかりと宣誓をしたつもりなのに、震える声をどうすることもできなかった私。あの忘れられない着任の日から百二十日目、早いものである。『教育はじっくりと急がず、事務は事務的に努めて早く』これは私自身の努力点であるが、それが先生方の毎日に、こころもとなさと、より多忙感を与えてきはしなかったろうか。

教育活動の一つ一つは、安定感をもって行われてきただろうか。

また、いずこの親も、新年度の我が子の担任はどの先生になるかが気がかりであり、男の先生に受け持たれたいとの願いが必ずあるというように、この職場やPTAでも、今度くる教頭は誰か、女教頭か、細かく動きまわるだろうな。などと話題は数多く、どなたの心の中にも不安があったのではあるまいか。

しかし、私は私なりに、教育という仕事の重みやこの道のきびしさを実感として受けとめ、自分の目と心で確かめながら、教育場面の一つ一つをおざなりにせず、教育の本質から「あすへの子供・あすへの学校」の姿を求めていきたい。

そして、先生方が、新旧入りまじった新しい人間関係の中で心のとびらを開き、男女の別をのり越えた教師集団として生き生きと自覚ある励みが出るように、校長の意を意として、心を砕きたいと念じている毎日である。

そのために、小さな職場にありがちな、よく知っている間柄だから、そんな細かいことを言わなくても理解し合えるはずだから、などと安易に考えることなく、チームワークと相互関係にある集団内のコミュニケーションをたいせつにしたいと考えてきた。

たとえば、板書・回覧文書・連絡・会議での人の発言など、正しく伝え正しく聞く基本的なコミュニケーションの姿勢を土台として筋立てること等。

時には足ぶみしながらも、全職員の善意を信頼し「弱音を吐かないのよ。」と自分の心にいいきかせながら、この道を進みたいと思う。

高見順の詩の一節が、校舎を巡視する私の頭をかすめて通った。「はじめは同じ道を散歩するのがつまらなかったが、

だんだん同じ道に親しむと、同じ道を歩くのが楽しくなった。同じ道でありながら、毎日何か新しいものをみせてくれる。それが新しい道でなく、同じ道であることによって楽しいのであった。」と。

 

(郡山市立行健第二小学校教頭)

 

 


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