教育福島0014号(1976年(S51)09月)-028page

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教育随想

 

心の通い合い

佐藤力三

気づかされる。と同時に豊かな心の通い合いのすばらしさに感動するのである。

 

授業をとおして生徒と共通理解を持ち、じかに心のふれあいを得た時ほど教師みよう利に尽きるものはあるまい。一週間に数時間の限られた授業の中での心と心のぶつかり合い。あれこれ試行錯誤に以た試みを繰り返すうちに、教師の一語一語がそれぞれの生徒の心に深く食い込む。その厳粛な現実に思い当たる時、言葉の重要性に改めて気づかされる。と同時に豊かな心の通い合いのすばらしさに感動するのである。

ある時、なにげなく言った言葉、『人は良い思い出を作るために日々努力をしている。』それは常々思っていたことでもあったし、それなりに好きな言葉であった。しかし言った本人は、それほど生徒の心に深く根を下ろしたとは思ってもいなかった。自由作文の時にこのことを克明に書きつづった生徒がいてびっくりさせられたのである。思いもかけない時に、自分に共鳴してくれた生徒を見つけた時ほどうれしいものはない。

その生徒の言うには、小中学校時代のことを振り返ってみると、学校という共同生活の場で良い思い出を残すことの余りにも少なかった自分の過去が悔やまれて仕方ないという。改めて現在の生き方が大事なのであり、それが自分の未来の生活に直接にかかわることに思い至ったということを、たどたどしい文体で読ませられた時、一人の生徒の真剣な『生』に触れた思いがしたのである。

勉学にしろクラブ活動にしろなにか中途半端なままであったという。自分で納得できるような境地に至り得ないまま中学を終えてしまったことへの苦しい反省。気がついたら、実業高校へ入学していたという。もちろんここに到着するまでには、さまざまな喜怒哀楽はあった。無念さ悔しさ、恨み、泣きたい気持ちは大きかったようである。その反面、自己満足や喜び、充実感等も無いわけではなかった。それでいて今となって感じることは、今までの人生の中で印象強く心に残るものは何もないということ。これは悲しいことである。心の中に大きな空洞があるようなものだろう。運動部の厳しい練習に泣き、試合に臨んで、勝って喜びを味わいたかったという。それなのに、初期の球拾いの段階で自己の弱さに負けてしまった悔しさ。

今その生徒は、中学で果たせなかった自己との戦いに打ち勝つため、バレー部でがんばっている。やせて百六十センチの不利な条件も考えず、毎日ボール拾いに汗を流している。たとえ選手になれなくとも、部活動を三年間続け、各種大会に出て青春の喜び悲しみを体験したいと言っている。大きく出るようであるが、あの時の言葉で一人の生徒が『救われた』のではなかったかとひそかに自負している。それが『一を聞いて十を知る』ような生徒でないのだ。実業高校に不本意な成績で入学してきた生徒なのである。教師の喜びこれに尽きるものはあるまい。

人生とは出会いであるという。いつどこでどのような時に何とあるいは誰と出会ったかでその人の運命が決まるという。恐ろしいことである。全く偶然としか言いようのない生徒との出会い。そこに至るまでにはさまざまな必然的な諸条件があるにせよ、偶然として割り切るしかない一つの出会い。そのような運命的なめぐり合いであればこそ、教師と生徒という宿命的なわく組みの中で激しくぶつかり合い、かけがえのないひとときを持つに至るのである。

教師は積極的に行動しなければ駄目だということを痛切に感じる。生徒との接触の場を能動的に作り持たなければ出会いは生じない。書斎に閉じこもっていては、生徒との心の触れ合いは自ら制限されてしまう。貴重な出会いから生まれる運命的な未来というものを切り開くためにも、生徒の群れの中に入ることだと思う。

現在バレー部で精進している生徒は、そこで新しい出会いを経験し、新しい運命をつくって行くことだろうと思う。でも、あの『良い思い出を作る』ことへの努力は決して忘れないだろう。そこから彼の大人の世界への接近があると思う。授業の中の誠実な態度にそのことは明瞭である。自信に満ちた生徒の言動に接して、教師になってよかったとしみじみ思うものである。

 

(福島県立喜多方工業高等学校教諭)

 

 


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